十代の頃、といえばもう随分前のことになってしまったが、
書くことに対して、なるべく誠実でありたいと思っていた。
誠実さとは何か。自分が感じたままのことを素直に表現すること、
それだけでなく、自分が感じたいと願ったこと、感じ得なかったこと、
伝えたいこと、その背景にある動機、そういう諸々の複雑を
受け入れることから始める。
書き進めるに従い複雑な全体は解体され行き、
要素があちこちに転がり、転がりが結合を生み全体は再生される。
その瞬間の純粋さ。誠実さを表現しようとすれば例えばこうだ。
いまでも誠実でありたいと思う気持ちに変わりはない。
しかし、誠実であろうとすることで抱え込む弱さも、
同時に感じている。
「しかし、現実の問題としては、どうってことにもならなかったろうね。」
「じゃ、やっちまわなかったことをどうして後悔するの?」
「消極性よりも積極性を好むと言う理由だけからさ。いま僕たちの演じているゲームでは、僕たちの勝利というのはありっこない。ある種の敗北のほうがましだという、たったそれだけのことさ。」
小説「1984年」のなかで、主人公の二人が交わす会話である。
この作品で諷刺される諸悪に対し、僕たちが実際に生きている社会は、
いくつかのアイデアを示し、取り組んできていると思う。
本質的なところでは、けっして勝利に至ってはいないにしてもだ。
言ってしまえばもはや、本質など重要でないのだ。
「・・・私たちの生きている間に眼に見えるような変化が起こる可能性は全くありません。私たちは生ける屍なんです。私たちにとって唯一の真の人生があるとすれば、それは未来にこそあります。・・・」
書き手として、あるいは、若者として、
この社会にどう向き合っていけばいいのか。
僕たちの目の前に歴然と幸・不幸があり、
出来ることがあり、出来ないことがあり、
時は流れ、世界は動いているのであるとすれば。
物事はそんなに簡単じゃない。と思うのもひとつの考え方に過ぎない。
簡単に考えられる人はすごいと思う。
僕にはそれはできない。
ある種の人格障害のようなものだ。
「・・・民衆はか弱く、卑屈な人種であって自由に耐えられなし、真実を直視し得ないから、彼らよりも強力な集団によって支配し、組織的にだまされねばならないこと、人間にとっての選択は自由か幸福かであり、その大多数にとって幸福が遥かにましなこと・・・」
この社会はどこに向かうのか。
考えようが考えまいが何かしらになるし、どうしようもない。
じゃあ死ねばいい、ということになる。
さもありなんと思う。
だからといって地平は晴れぬ。
引用ばかりの手抜きの感想文。お粗末でした。

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