2009年12月12日土曜日

具体と抽象

昨晩は、Jazz Singer とSax Player とプロダクトデザイナー
で集まって、異業種アーティスト会? を開催。
(焼肉食べながら騒いでるだけだけど 笑)

これが実に面白くて感動する。
でも後半、何を話したか記憶が定かでない・・・。

深夜二時半まで飲んで何故か新宿から歩いて帰ろうと思い
ふらふら歩いていたらどこにいるのかわからなくなって
結局タクシーに乗って帰宅。
朝起きて財布をみるとお札が一枚もなくて!
一体どうしたことだろうと愕然とする。
その理由はまだ明らかでないのだが。

軽い二日酔いのなか十二時過ぎに表参道でビールを三杯ほど飲み、
頭のなかの鈍痛が重みをましているころ、
昨日いっしょに飲んでたPORE 根本さんとまた合流し、
表参道 LOTUSへ。
さすが洒落た店を知ってらっしゃる。

そこで随分話し込んだけれど、僕が改めて強く感じたことの一つは、
「未来のビジョンについてもっと発信すべき」であるということだ。
先日、オペラシティの「ヴェルナー・パントン展」を観たときに、
その圧倒的な色彩や突飛な家具のデザインに驚いた。
もう何十年も前に作られたものだが、そこにはっきりと未来への意志を
感じ取ることができるし、そのような未来は結局実現していないにしても、
忘れさられることなく「もう一つの未来」として私たちの記憶に残るのである。

それと似て、恐れている未来に対する警告と希求する未来に対する情熱を
描いているSF小説が好きだ。ちっとも Scientific でないことが多い。
そのような未来をどうやってつくり上げるのかと問う前に、
まずビジョンを提示することが大切であると思う。

僕たちは具体化する作業にはとても慣れていて、
概念を分析的に解釈し、論理的に組み立てることを好む。
目標地点と現在地を定め、人員・予算・時間などの制約を元に
そこに至る戦略を立て、方法を選別し、リスクを予測し対策を練る。
たとえばそういうことだ。
日本の教育について語るときに、教育そのものについて語るよりも、
子供の人口統計、税収予測、国際社会での優位性、義務教育過程の改革、
といった具体論に落とし込もうとする。
どのような椅子が欲しいかというときに、コスト、耐久性、他社商品との差別化、
ターゲットユーザーの嗜好性、プロモーション戦略と細分化しようとする。

それらの手法が間違っているわけではもちろんないが、
そういう具体化の作業からは圧倒的なビジョンは生まれ得ない。
あくまで抽象的な思考のなかにだけ存在し、
具体化する過程で消えてしまうエネルギーがあるのだ。

抽象的なものを抽象的なまま受け止めるのにはパワーがいるし怖い。
具体化し、理解の範囲に収めると安心できるというのはわかるが、
抽象的なものから逃げない訓練もしたほうがいい。

抽象的な事物は、好き嫌い、善悪、良し悪しといった、
よりパーソナルな判断を求めてくるから、
実は、そういう事物に自然に接することができるようになると、
生きるのがより楽になるのではないだろうかと思う。
根拠を求め原因を洗い確実性を予見し、という具体化の作業の果てには
空漠が広がるのみ、ということが多いからだ。

絵画を初めとする芸術は、私たちの生活の抽象と具体のバランスを
是正するという大切な役割を果たせるのではないかと思う。

2 件のコメント:

絵描き さんのコメント...

あーこの展示面白そうじゃないか、先日言ってたよね。まだやってたのか。早く教えてよ。

Hiroshi Tanioka さんのコメント...

えーおもしろいよぜひ。
併設している、住田大輔って作家の作品展もなかなか見応えあったよ。