田口ランディの「コンセント」と、飯島愛の「PLATONIC SEX」を
続けて読んだのは全くの偶然であるとは言いながら、そこに、
僕の企図が透けて見えるのも認めざるを得ない。
「PLATNIC SEX」について、書くことをためらう。
この作品ついて書くことが、飯島愛の死に及ぶことに、
非常な恐怖と不安があるからだと思う。
あと10年もすれば、彼女の死は、この作品と結びつけるかたちで
いろいろな批評の対象とされるだろうし、
2000年代を象徴する、ひとつのトピックとなるだろう。
「コンセント」を読んでない人も多いだろうから、
どう言ったものかと思う。
確かにこのブログは「あなた」に向けられたものではないし、
言い切ってしまえば、僕自身の自己満足の謂いでしかない。
しかし、僕に向けられた言葉は、少なからず「あなた」にも向かう
だろうと僕は思っている。そうでなくては、本当に生きている意味がない。
あるいは、生と死の違いを失ってしまう。
「コンセント」と「PLATNIC SEX」をどう解釈していくかは、
置いておいてもいい。
それでもこれを通じて、考えてしまうことがあり、
それは、生きていることと死んでいることの違い、についてだと思う。
シンプルに言うならそういうことだ。
だから僕は、生きている「あなた」に向かって書くのだと思う。
だからこそ、みんな、ひとりでは生きていけないのだと思う。
2009年5月13日水曜日
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