中川昭一が死んだ。
彼が政治家としていかほどの人物であったか知らないが、
親子二代、政治に関わる運命の非情を観た思いがする。
石原慎太郎は中川一郎の死についてこう述懐しているが。
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それにしても、中川一郎の死というのはいったい何だったのだろうかと改めて思う。・・ああした魅力に富んだ一人の政治家が志の半ばで非業の死を遂げなくてはならぬという政治の陰の仕組み、それにからむ気が遠くなるような量の金と、その驚くほど薄い効用との対比の不条理さ。
そうした虚構は現今の日本の政治にとって致命的な主題であり、政治家が人間として何を思い、何に腐心し、何をこそ行わなくてはならぬかということを露骨に疎外してしまう。
・・・政治の悪しき公理を私は中川の死に、そしてその周辺の人間たちや彼らがかもしだしたさまざまな出来事の内にあからさまに見せつけられた想いだった。それは何と強弁しようと一種の地獄絵としかいいようない。
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最近では政治家の私利私欲ばかりが取り上げられ、
国家ビジョンのなさを嘆いたりだとか、ポピュリズムであるとか好き放題言われている。
マスメディアの愚を今さら指摘することもないだろうが、
一方で、政治家に罵倒される官僚という構図も当然のような空気があり
一体似た者同士が寄り集まって何をしているのかと
この国の権力者たち(と自認する者たち)のさもしさにうんざりする。
個人的には二世議員の無能とも思わないし、官僚の腐敗とも思わない。
企業ならトップが悪いということにもなろうが、
政治では領袖の首はころころ挿げ替えられ、首相に任命された者が
果たしてリーダーとして認められてそこに立っているのか、
周囲も本人の意識も怪しい気がしてくる。
しかしこの数年で何人の政治家が死んだろう。
もはや記憶も定かでないが、永田元議員が自殺したのは今年のことだったろう。
国を背負う意識もなくて生命をかけるだろうか。
権力への欲望浅ましき、と言うだろうか。
ではその我欲の根源とは何であったろうか、全くはっきりしない。
そう思うと政治の虚構と言いたくもなる。
政治家を掘っても官僚を掘っても国家は出てこない。
疎外された周縁が実態のない中身を嘯いているようにみえる。
2009年10月5日月曜日
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