なぜかわからぬけれど、不意にこの場所に戻ってきたくなる時がある。
いま久しぶりに読んでいる幸田文の類まれな気品というか、
粋な文章に触れてのことかもしれないし、今日偶さかYouTube で観た
じゃりんこチエの人情味あふれる喜劇の合間に挿す憂いに感化されての
ことかもしれない。
それとも雪か。
この冬一番の雪は道路を真っ白に覆い、ずっとオフィスに篭って仕事をしていた僕は、
遅い晩飯を買いに外へ出た時に初めて、深々と雪が鳴るのを聞いた。
母親と妹から珍しくメールが届いて、無事かと言う。
父親と兄貴が雪のせいで渋滞につかまり深夜になっても帰ってこれないらしい。
あいにく僕は徒歩通勤で今日は電車に乗ることすらなかった。
いや人に会うこともなかったか。
いずれにせよ、それらは全て、ここに戻ってくるまでの道中に
懐かしく拾い上げた一輪の花であったというほうが正しくて
僕はここに戻るために彷徨っているようなところがある。
別にここにずっと暮らす気もなければ、大仰に持ち上げるには慎ましすぎる、
旅を終えて、しばらくを過ごすための私の閑居である。
いま、自らに問うべき事柄はそれほど多くはない。
たくさんのことに少しずつ回答を出してきたし、
そもそも、問うべきことではないと悟って終わることしばしばだった。
都度提出した回答は、はじめ稚拙であるように思えても、
その実、多少の補強はしながらも差し替える必要はなかった。
それほど世界は、大きく変わったりしなかった。
世界が一様と思いたいのではなく、私の寡聞を勘案したところで
私の世界が私の知見の範囲にしかあり得ぬこともまた明白で、
自らの卑小を嘆くことがいかに詮無きことかと知ったのは
大きいのか小さいのか知らないが、確かな一歩だった。
無力感に苛まれるのはしばしばで、後悔もいくらかある。
私は幸せだろうかと問うことはなくなったが、
いま自分が生きていることで、いや、こうして誰かの目の前にいて
日々あくせくと尽くす行為の幾ばくかは、その人の幸せに貢献しているだろうか、
と問わずにはいられない。
私という人間と出会ったことが、その人にとってよい思い出となるのかどうか。
私ひとり不幸に堕ちることで人々が救われるならそれほど楽なことはないが
そうお気楽に考えることはできないので、私は今日も明日も生きることにしている。
2011年2月15日火曜日
登録:
コメント (Atom)
