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2010年1月26日火曜日

スノボ

安達太良という人名のような福島県のとある雪山でスノボ。



おかげさまでいまは身体の至る所、
特に、大転倒してアイスバーンにぶつけたお尻は
腰のほうまで痛みが響いているけれど気分は爽快なり。

常に、ある一点に思考が凝縮していると全ての事象に
連なりを見出すことができるようになる。
毛細血管のように張り巡らされ補い合い、それが生命なのである。

2009年12月13日日曜日

I am

新宿 BEAMS のギャラリーで開催中の「岡田敦 写真展」に行く。

本展の美しさもさることながら、2007年に出版されている
写真集「I am」を前に僕はまったく立ちすくんでしまい、
そして次に巨大な感情の波に襲われた。

僕は家に帰ってもう一度写真集のページをめくり
ゆっくりと眺めた。そして恐怖を振り払うように
込み上げる感情を言葉に変え、整理し、受け止めた。

そして言葉にできずに残ったいくつかの者たちが
僕に声ならぬ声を浴びせ、浮遊する身体で圧した。
何もかもがひとつになった。




# 普段使いのブログに貼り付けるには過激すぎるかな。。
# 別に、エロとは全く無縁だし、反道徳でもないです
# まあ見ればわかりますが・・・

2009年12月12日土曜日

具体と抽象

昨晩は、Jazz Singer とSax Player とプロダクトデザイナー
で集まって、異業種アーティスト会? を開催。
(焼肉食べながら騒いでるだけだけど 笑)

これが実に面白くて感動する。
でも後半、何を話したか記憶が定かでない・・・。

深夜二時半まで飲んで何故か新宿から歩いて帰ろうと思い
ふらふら歩いていたらどこにいるのかわからなくなって
結局タクシーに乗って帰宅。
朝起きて財布をみるとお札が一枚もなくて!
一体どうしたことだろうと愕然とする。
その理由はまだ明らかでないのだが。

軽い二日酔いのなか十二時過ぎに表参道でビールを三杯ほど飲み、
頭のなかの鈍痛が重みをましているころ、
昨日いっしょに飲んでたPORE 根本さんとまた合流し、
表参道 LOTUSへ。
さすが洒落た店を知ってらっしゃる。

そこで随分話し込んだけれど、僕が改めて強く感じたことの一つは、
「未来のビジョンについてもっと発信すべき」であるということだ。
先日、オペラシティの「ヴェルナー・パントン展」を観たときに、
その圧倒的な色彩や突飛な家具のデザインに驚いた。
もう何十年も前に作られたものだが、そこにはっきりと未来への意志を
感じ取ることができるし、そのような未来は結局実現していないにしても、
忘れさられることなく「もう一つの未来」として私たちの記憶に残るのである。

それと似て、恐れている未来に対する警告と希求する未来に対する情熱を
描いているSF小説が好きだ。ちっとも Scientific でないことが多い。
そのような未来をどうやってつくり上げるのかと問う前に、
まずビジョンを提示することが大切であると思う。

僕たちは具体化する作業にはとても慣れていて、
概念を分析的に解釈し、論理的に組み立てることを好む。
目標地点と現在地を定め、人員・予算・時間などの制約を元に
そこに至る戦略を立て、方法を選別し、リスクを予測し対策を練る。
たとえばそういうことだ。
日本の教育について語るときに、教育そのものについて語るよりも、
子供の人口統計、税収予測、国際社会での優位性、義務教育過程の改革、
といった具体論に落とし込もうとする。
どのような椅子が欲しいかというときに、コスト、耐久性、他社商品との差別化、
ターゲットユーザーの嗜好性、プロモーション戦略と細分化しようとする。

それらの手法が間違っているわけではもちろんないが、
そういう具体化の作業からは圧倒的なビジョンは生まれ得ない。
あくまで抽象的な思考のなかにだけ存在し、
具体化する過程で消えてしまうエネルギーがあるのだ。

抽象的なものを抽象的なまま受け止めるのにはパワーがいるし怖い。
具体化し、理解の範囲に収めると安心できるというのはわかるが、
抽象的なものから逃げない訓練もしたほうがいい。

抽象的な事物は、好き嫌い、善悪、良し悪しといった、
よりパーソナルな判断を求めてくるから、
実は、そういう事物に自然に接することができるようになると、
生きるのがより楽になるのではないだろうかと思う。
根拠を求め原因を洗い確実性を予見し、という具体化の作業の果てには
空漠が広がるのみ、ということが多いからだ。

絵画を初めとする芸術は、私たちの生活の抽象と具体のバランスを
是正するという大切な役割を果たせるのではないかと思う。

2009年12月9日水曜日

閉店がらがら



今日は一樹さんのライブやねん。

2009年12月6日日曜日

Happy Wedding

12月4日にG氏の結婚を祝し、盛大に飲み歌う。
大学時代の仲間を中心に入れ替わり立ち代りしながら
20名近くが参加してくれた。
圧倒的なテンションのまま午前五時を迎え、
昨日は一日中意識は朦朧とし咽喉は痛いし・・・すごいなあ。

結婚という出来事にいまの僕たちは多くの期待を寄せているし、
これがG氏のものだからということはあるにしても
純粋な歓びにあふれているのだった。



この三ヶ月のうちに三人の友人から結婚の知らせが届いた。
急になんだというのだろう? 世界が一変してしまったかのようだ!
このペースで幸せな結婚が増えていけばあっと言う間に、
僕たちの未来はその存在の色を濃くし、祝福の歌は夜ごと響くことだろう。
財布の中身は空っぽで、そして僕はひとりぼっちだ。

日本の教育を変えるにはどうすればいいかという問いに
中学生が自ら集団登校拒否をすればいいと村上龍は答え、
実際そのような小説を書きもしたが、
若者たちが幸福な未来を信じ強く生きていくにはどうすればよいか、
という問いには、全員即刻、幸せな結婚ができればいい。
でもそんな仮定は集団登校拒否以上に現実的でなく妄想の域にも達しないから
いまここにあるひとつひとつの結婚を大いに祝福し、
その永遠を願い、応援し、メッセージを伝える。


それにしても年末、地元で二夜連続の結婚祝いだ。
死んじゃうかもしれない。

2009年11月23日月曜日

Day One

今日晴天の馬車道にて、
絵描きの吉窪さんを囲んでの食事会を開催しました。

吉窪さんとはもう二年近くの付き合いになるだろうか。
昨年、はじめて彼女の個展を渋谷でみて
僕はもっと彼女の絵に歩み寄りたいと思った。
そうすることで僕の人生はもっと楽しくなるだろうと予感した。
絵画を身近なものとするための仕組みを
社会的なインフラとして提供したいと考えるに至ったのは
思えば、そのときの体験が元になっているのだった。

その後の一年で、僕自身かなり彼女の作品に対し近づけたと思う。
近づくというのは“理解した”などといったオコガマシイことではなく、
作品に向かい合うことを僕なりに楽しむことができるようになった、
というような、あくまで個人的な体験としてのことである。
絵画に関する知識が増えたのではなく、
その後、吉窪さんと何度か飲んだり話したりするなかで、
人間関係が形成されていくのと同じように少しずつ積みあがっていった何か。

作家と会って話すことができたら、
絵をもっと楽しめるんじゃないか。

簡単に言えば、そういうわかりやすい話なのかな。

みんなにもそんな体験をしてほしいと思っていたところ、
ちょうど今週、吉窪さんが個展を開催するという。
彼女の個展をはじめて観にきた人たちにも、
十二分に彼女の絵を楽しんでもらいたいと思い
彼女を囲んでの食事会を企画した、という経緯である。

10人くらいお集まりいただいた。
久しぶりにお会いする人もいて嬉しい。
個展会場で絵をしばし眺めてもらってから近くのカフェに行って食事。
何を話したかはみんなそれぞれ感じたところによるような気がする。

で、二時間後、個展会場に戻りまた作品の前に立ってみる。
「自分が感じたまま受け取ればいいんだと聞いて安心しました」
「作家さんと話せる場があってよかった」
というような声を複数の方からいただけて嬉しい。
吉窪さん自身も楽しんでくれたんじゃないかと思う。
(おそまつな進行は反省したほうがいいよ・・ > 自分)

こういう機会をもっともっとつくっていきたい。
会って話すのはいい、でもそれだけじゃなくて、
個展をみるのはいい、でもそれだけじゃなくて、
絵画はいい、でもそれだけじゃなくて。

スタートラインを超えて一歩目を小さく踏み出した、
二歩目をすばやく続けて三歩目は力強く。

ご期待ください。

本日ご参加の皆様へ
取り急ぎ、御礼まで。

2009年11月15日日曜日

存在について

おととい飲んでいながら右往左往する話題は
ふとシェイクスピアに及んだ。
たしか演劇について話ながら、その舞台の効用、
たとえばストーリーの展開に小説とはまったくちがった
方法論を持ち込むことができるのは何故かということについて、
戯曲を読みながら想像することの有意義があるにしても
いいや、生身の人間がそこに演じている存在感には
到底想像を超えるものがある。といようなことだ。

不思議なのは、演劇の存在感と言ったところで、
あくまでそれは舞台の上で演じられる遊戯に過ぎないということだ。
非現実の存在といえば、その困難がわかるだろうか。

映画は一個の仮想世界を作り上げる。
その仮想的な世界のなかでそれは完成されており確かに存在している。
World Trade Center がまさに崩壊しようとするときに
映画の一場面かと錯覚する理由はまさにそこにある。

中世の王子・王女の登場だから違和感があるのではなく
シェイクスピアの時代でも道具の精度からして
視覚的効果を期待してなかったろう。
能や狂言となるとさらに無知だがあれをみて現実的な存在感を
みる者が果たしているだろうか。

昨日ひさしぶりにオセローやリア王を読み返しながら、
それはあくまで記録写真を眺めているかのように感じられ、
こう結論すれば通俗的に過ぎるとは思いながら、
演劇のもつ非現実としての存在感は、四肢、発声、表情によって
成り立つ世界が持つ、生命力なのだという以外になかった。

あまり演劇について語ると襤褸がでるので話の向きを逸らす。

平野啓一郎の文章にこのような一節がある。

「彼は、先ほど父の死について思いを巡らせたのと丁度反対に、誕生と云うのは、あの一頭の魁然たる雌牛が、この世界に針の穴にも満たない小さな一点を得る事なのだと考えた。そしてそれは、緩やかな時の流れの中で、着実に内から外界を押し退け、その存在の場所を膨らませる。今、その外圧に耐える張力とは、駆け巡る鮮血に一瞬毎に潤う持続である。それは、再び跡形もなく口を閉ざすであろう世界が、束の間所を譲った、生と云う、脆弱ではあるが、容易に侵し難い現象である。」

まるで僕が書きそうな文章だが、悔しいかな僕には
できぬ巧みさがありちょっと舌打ちをする。

ちなみにこれは結びの、
「歩きながら、彼は初めて自分の激しい動悸に気がついた。そして、それを抑え兼ねる事に憮然としながらも、右手にちらつく夕映えの海に、時折見るともなく視線を投げかけていた。」
という一文につながる。(物語のなかでこの海は自死を示している。)

劇中、死を演じようが生を演じようがそこに存在があるのは
生身の他人がそこで科白を吐くからである。

最近、なんだろうとよく見ている絵画は演劇に似て
そこに他人の生命が息づいているのだと言えるだろうか。
私的な空間のなかに食い入る一点として。

他人の鼓動を聞き息づかいに触れることで
それに応じる自らの生命が自覚される。
教養としてではなく、生活として芸術があるというのは
そのようなことを謂うのではないだろうか。

2009年10月3日土曜日

追憶、伊豆のこと

伊豆に行ってきたのはもう二週間近く前のことだ。

時間が均質に流れていてそれで気付くと日付は
僕の意識よりも早く進んでいる。
ブログを書くことで一日一日を確かめている。
日記をつけるのと同じように。

これは日記といっても読んでもらうことを
前提に書いているつもりだから、
その点では常にメッセージであるわけだが。

伊豆のことに話を戻す。
先日、新潟の山村について書いたが、南伊豆は海である。
暴れん坊将軍のオープニングで吉宗が白馬に乗って駆ける
砂浜がまさにあり、海岸線は長い。
伊豆の写真を公開しました。
砂浜の写真はない。土地から出ている湯気は温泉である。

温泉につかりながら色々考えていた。
夜、畳の上にしいた布団に入り、虫の音だけがある
真っ暗闇のなかで眼をひらいて色々と考えていた。
考えることが僕に先行する。それが時々辛くなる。

伊豆から帰ってきて、僕は暗闇が海であったことを知った。
じっと横たわって眺めていた暗闇の中に溶け込み、
泳ぎ出した。すると思いがけず景色が広がる。
あたたかい匂いがする。時々岩が肩先や脛に当たって痛い思いをする。
魚の群れが銀色の光の粒となって僕を包む。
いままだ暗闇の海を泳いでいる。

2009年9月23日水曜日

僕たちの戦争

あまり計画性もなく、
慌しく突入したシルバーウィークだったが、
充実した連休になった。

だいたいシルバーウィークという名前が気に食わない。
敬老の日を含むから老人臭くていいのかもしれないが、
ゴールデンウィークとのつながりで単に名づけられたのだとすれば
安易にもほどがある。まったく。



サマーウォーズを観る。
なかなかよくできた映画でエンドロールで流れる山下達郎もいい。
(思わず iTunes で買ってしまった。)


田舎の家族に囲まれた日常世界と、
Ozと呼ばれるシステムが作り出すネット上の世界、
世界の存亡を賭けた事件に巻き込まれていく非日常、
これら三つが重なり合い並行し合い、
踊らされるように立ち向かうように暮らしている。

リアリティ、という言葉を持ち出すと
途端に禍々しく聞こえるが、
映画のなかでこれら三つの世界は重大に扱われることもなくて
ファジーな輪郭のなかで右に揺れ左に揺れしている。

この映画自体がひとつの大きな心象風景(この言葉自体は受け売りだが)を
描いていて、過ぎし夏の思い出、というセンチメンタルな表現がぴったりくる、
それがこの映画を観たあとの最初の印象だった。

一つの恋が世界を揺るがす大事件にもなるし、
一人の家族の死によって世界の見え方が180度変わることもある。
ネット上のコミュニティが何よりも勇気をくれることもあるだろうし、
家族の愛情が何よりも幸福を与えてくれたりする。
一歩外に出ればひとつひとつは全く取るに足らない些事によって
あるいはありふれた現象をなぞるようにして、
僕たちの世界は構成されているし、それ以上は望むべくもない。
一人の人間のキャパシティは、訓練によって多少の拡がりを
持たせることができるのだとしても、
身長の大小に似てその違いは印象の違いを生むことはあっても
実質的な変異をもたらすわけではない。
そのことをとてもポジティブに笑っているような爽やかさが、
この映画にはあって、夏にすごした青春のひとときを思い出させる。

もうすぐ公開は終了すると思うが、まだ映画館は満員だった。
この映画が大ヒットするというのはいいことだと思う。
花札! によって家族をひいては世界を救おうとする少女を、
世界中の人たちがネットを通じて応援したように
この映画を観て感動する僕たちは見知らぬ誰かの幸福を願う寛容に
無条件の賛同を示していたのではないだろうか。

2009年9月19日土曜日

続・越後のこと

まず山里の風景があり、アートはその次にあった、
と書いたがもうひとつ忘れられないものがある。

新潟の米である。



平成の大合併で魚沼産と名乗れる地域が広がったという、
笑い話もあるが、宿泊した越後湯沢のあたりは
かつてより魚沼産コシヒカリを作るいわば名門である。
彼らもそれを誇りにしているから、
あちこちで本当に米をよく食べる旅になった。

食おうと思えば多少高価なのをよしとすれば
東京でも食える米である。
その土地の水を使って炊くことの大切さを語る人もいて、
なるほど東京の水道水ではどうということもあるまいと思うが、
僕は米の味を見極めるほどの食通でもないから、
僕とってこの米を旨く感じさせるのは、なにより新潟の大地なのである。
というところでまた話は、土地についてに戻る。



大地の芸術祭と名づけられた、この越後トリエンナーレには、
廃校や廃屋を利用した作品がたくさんある。

小学校も僕にとって新鮮なモチーフになった。
木造のいかにも古い校舎には、教室、体育館、理科室、図書室、
廊下に低く設置された水場、小さな机、黒板など、
どの小学校にも共通する要素が散りばめられていて、
校舎をぐるりとまわりながらあまりの懐旧に胸を打たれる。
だが、これは僕の母校ではない。
古いものだから懐かしむというのでもない。
雪国の廃屋は、新鮮さはあっても懐かしさはない。
暖かみがある、という程度なら言えるが、生活を感じない。



いっしょにまわっていた方が、
「photogenic」と言いながらはしゃいでいた。
要は、写真を撮りたくさせる作品ということで
光の当たり具合や、視点の位置によって色々な見え方をさせるものは、
撮影のしがいがあるということだろうか。
この楽しみは、撮影することにあるから、
撮った写真をあとで並べてみても「photogenic」な作品
とはなり得ない。
撮影することを通じて楽しむことができるのは、
実物を前にしているからで、写真には何も映されていないともいえる。
その倒錯というか、喜劇もまた面白く感じられた。

あとは音である。
音もまた写真には残らない。耳と眼で観た作品はより記憶に留まる。

2009年9月16日水曜日

越後

土日で越後妻有オリエンナーレ「大地の芸術祭」に行ってきた。

無論、アートの祭典なわけだが、
何にもまして書き記しておきたいのは山里の風景である。



「故郷」というのは考えるに値するテーマである。
僕の生まれ育った和歌山は総体としては熊野古道があり高野山があり
林業の盛んな土地であるが、故郷と限って思えば
和歌浦、そして加太の海が浮かぶ。
潮の香りと波の音に郷愁がある。

そんなことを今更書かねばならぬほどまず海だった。



僕はあまり旅行をしないからそういうことに
酷くセンシティブなのかもしれない。

越後湯沢駅で下車すると風の冷たいのがすぐにわかる。
住宅の玄関は通りから階段を通じてあり二階から入るようになっている。
雪が積もれば一階は埋まる。
山道を走れば棚田があり山の向こうにはまた山がある。
和歌山なら山の向こうには海が見えたと思う。
刈り入れの近い田んぼは黄で森の緑の中に映える。
穂の重みで倒れた稲は風に吹かれ櫛を通した頭髪のように撫でつけられている。



山里の風景は新鮮だった。
アートはその次にあった。

2009年8月14日金曜日

田舎行きの電車は夕暮れ 海を車窓に映し走る

和歌山に帰ってきた。
母校が甲子園の一回戦を勝利で飾った。

飯がどんどん出てくる。
やきそばと初めて見た白ゴーヤの味噌炒めと刺身と鮭の入った酢飯と
茄子の煮びたしと明太子の入ったサラダとなんだかんだと
次々に出てくる。
どでかいスイカを半月に切って食った後、
コーヒーをいれて僕が買ってきたお土産の
ロールケーキ(なんばで買ったけど)を食べる。



たらふく食べる。酒も控えめだし、煙草は吸わない。
これから車を運転する。
それもあって飲まない。
海を見に行こうと思う。車で二十分ほどだ。

2009年7月25日土曜日

ケントス!



昨日は新宿ケントスで、70's ミュージック・フィーバー。
八時に焼き鳥屋で軽く腹ごしらえをして
九時から、飲んで踊ってを4サイクル。最高に楽しい。
気がついたら一時を過ぎていた。
総勢5人いたが、2、3人でウォッカ一本飲み干した。
足りなくなって追加で酒を頼み、
ラストステージが終わったら歌舞伎町でさらに
テキーラトニックを二杯。
さすがに最後は寝ちゃいそうになってふらふら帰宅。

みんなありがとう。
軽い二日酔いだが全然問題なし!

今週、ブコウスキー「詩人と女たち」を読んでいたので、
飲まいでやってられるか、という感じだった。
そして飲み倒した。

Kさんと昨日話をしていて、
経済的にpoorじゃないと、芸術なんてできないじゃないか、
余裕が生まれると魂が入らなくなる、
表現とは自分を失い続けることだ、
失うのが怖くなると表現は曇る。
などと思う。

ブコウスキーは酒を飲み女を抱く毎日を送る
孤独な詩人(彼自身がモデルだ)に最大な敬意を払っている。
失い続け、求め続ける。

「わたしはバスルームに行って自分の顔を見つめた。ひどい面相だった。顎鬚や耳のあたりの髪の毛に混じった白髪を鋏で刈り込んだ。やあ、死よ。といっても、わたしはすでに六十年近くをものにしている。このわたしを鮮やかに仕留めるチャンスは何度も与えてきたはずで、とっくの昔におまえの掌中に落ちていても何の不思議もない。わたしは競馬場のそばに埋葬されたかった・・・そこでなら最後の直線コースでの追い込みの音を聞くことができる。」

僕には失うものなんてほんのわずかしかない。
ちょっとした見栄とへたれな傲慢さしかない。
ブコウスキー、あんたくそったれ最高だぜ。

2009年7月18日土曜日

表現における衝動と公共性

今日、田口ランディが「アール・ブリュット」について
話すというので、軽い二日酔いのなか
大崎にあるO美術館に出かけた。
最近飲みだすと止まらない。
回数はそれほど多くないが一回が重い。
昨夜もがぶがぶと行儀悪しく飲んでいたが、
一緒に飲んでいたなかの素敵な大人の女性が
「そういうの好きよ。」というので素直に興じた。
その後はひどかったが・・・長時間飲んでいてよいことはない。

田口ランディについては以前紹介した「コンセント」と「アンテナ」の
二作を読んだだけで、あとはブログをみている。
話の内容は当然のことながら、
ブログで書かれていることと重なる部分が多く、
僕の想像していた通りのテンションの高い明け透けなおばちゃんが
愉快そうに話しているのを見るという楽しみ以上のものは少なかったが。
ただ過去について、特に作家になったきっかけについての話は
興味深かった。彼女がアール・ブリュットに関わるのも、
それが美術としてどうというより、創作する衝動に向けられていて、
それは作家である限り常にそうだと思うし、そういう意味で、
アール・ブリュットという世界は創作の衝動を端的に体現できる。

創作が衝動の吐露だということはわかる。無目的的に自分自身の暗闇をまさぐって引っ張り出すことによって、自らの生命が白日の下にさらされ、それが生きることのリアリティにつながる。わかりきった感情や合目的的な論理などまったく書くに値しない。ただ、表現のレベルに落とし込み、作品として他者の視線に触れることによって、作品は作品として自立する。批判も共感も取り込みながら作品は社会化されていく。作家は自身の未知を表現すること、それ自体によって少なからず社会化せざるを得ないというアンチノミーを常に宿している。
作家の、あるいは作品の公共性、意味、目的、なんと呼んでもいいが、創作する無意識的衝動とは別に、創作することを通じての目的を考えることは出来ないか?

こんな長ったらしくはないが、上記のようなことを僕は質問した。
(どうやって 笑)
アンテナで書かれていたように「目的と手段は違う」のだ。

彼女の回答はいたってシンプルで、
「意味なんてないよ。生きていること自体に意味がないだから。」
というようなものだった。
でもどうせ生きるなら楽しく豊かに生きたい、と。

生きることに意味がないことなんて言われなくたって
わかっている。その次を誰かに語ってほしかったのだ。
笑ってごまかすには、生きることはあまりにも深刻過ぎる。

さて今日もこれから飲みに行く・・・。

2009年6月15日月曜日

「僕らの世代」の原理的考察

昨日携帯電話を落水させたのは、江ノ島の磯だった。
干潮の時にはよい釣り場になるでこぼこした岩場を
走っているときにポケットからこぼれ、
窪みに残る海水の溜まりに落ちた。

すぐに取り出したが電源はつかなかった。
初めに思ったのは、失くすべき過去もあるということだった。

先日誕生日を迎えたとき、僕は過去について書いた。
この文章の論理は読み返してみてよくわかならないが、
「見る」という行為を自意識さらには自尊心にひきつけ、
その根拠を過去の記憶に求めるというものだった。
これの念頭には、三島由紀夫の「豊饒の海」最終巻『天人五衰』があった。

三島由紀夫について書こうとするのはかなり荷が重いが・・。
少し長いが引用する。
--
老いてついに自意識は、時の意識に帰着したのだった。(中略)あらゆる老人は、からからに枯渇して死ぬ。ゆたかな血が、ゆたかな酩酊を、本人には全く無意識のうちに、湧き立たせてきたすばらしい時期に、時を止めることを怠ったその報いに。(中略)
『いや、俺には、時を止めるのに、「この時を措いては」というほどのときはなかった。(中略)自分には青春の絶頂というべきものがなかったから、止めるべき時がなかった。(中略)絶頂を見極める目は認識の目だけでは足りない。それには宿命の援けが要る。(中略)
 強靭な意志が宿命を阻んで来たからだ、と言うのは易しい。本当にそうだったろうか。意志とは、宿命の残り滓ではないだろうか。自由意志と決定論のあいだには、印度のカーストのような、生まれついた貴賤の別があるのではなかろうか。もちろん賤しいのは意志のほうだ。・・・』
--

宿命が記憶から来るというのは、実際的な体験としての過去だけでなく、民族や国家、宗教、血縁、土地、歴史といった超越的過去も含んでのことである。それで自意識という言葉がわかりよいという気もする。
本多や透の目は、意志の目である。それは篠山も同様である。
篠山に自尊心を感じるのは僕の誤解だった。
確かに篠山の目は、写真の目は過去を見ている。
それがアイドルであればなおさらだ。
しかしそれは自らの宿命のなさへの嘆きであり、いうなればカーストの低いものが、カーストの高いものへ示す盲目的な畏敬といってもよくて、それで視界はなおのこと晴れた。
篠山が見る過去には、篠山自身が不在だ。
篠山はあくまで客体として「所有」することに楽しみがあるのである。

(これの前のブログだが)第三巻「暁の寺」の読後に一年前の僕はこう記している。
『青春が永遠の時にあるのとは反対に、老いは流れる時の中にある。青春の余りに短命な、花火の燃えるような時間は、それが瞬間的な燃焼の中にあるからこそ、逆説的に、その当事者は神秘的な永久不変の世界へと溶け込み、自らが世界であるという実感をその胸の中に抱くことができる。一方、老いとは、刻々と過ぎ行く時の流れに乗って彷徨う、刹那的な儚さの中に再起し続ける。』

この文章に全て書きつくされているように思うのは、
僕の成長のなさの堂々巡りを示しているとでも言うだろうか。
兎も角、『記憶の喪失は自尊心の喪失と同義だった。』という結論には変わりがない。
そして、その記憶喪失が自らの手によって戦略的に遂行されたのであるということも。

僕たちは過去の記憶を敢えて失くすことで、
宿命から逃れ、現在という永遠のなかへ溶け込もうと企図した。
自尊心という問題を棚上げして・・。
僕たちの世代の"モラトリアム"の字義的な端境期を越えて、合目的的に操作されたかにすらみえる「自分探し」の意味はここにある。

・・・

釣りの記録は友力本願に任せておく。非常に楽しかった。いい企画だったなあ。
(写真をみると4:3のちょっとした合コン企画にもみえるが、3カップル+僕である・・嘆かわしや!)

携帯電話のメモリはまだ復旧の目処はないが
ドコモショップが言うには五分五分ということだった。
前に使っていた携帯からメモリを拾い出せるということを聞いて、
五年くらい前に使っていた携帯(一つ前の携帯は全くダメになって捨てた)
を取り出してみたが、そこにあるのは消えてもいいと願った過去ばかりだった。
結局今からでも再構築できる現在進行形のメモリはあるにせよ、
取り戻すべき過去は消し去りたい過去だけなのかもしれない。
あるいは過去とは消し去るべきものであるというほうが適切だろうか・・。

# また今日も長いな・・

2009年5月31日日曜日

深沈

昨日現代アートビジネスのセミナーを聞きにいった。
私費でセミナーにいくのは思い返せば初めてのことかもしれない。

主戦場、という言葉を最近よく使うようになった。
僕にとっての主戦場をどこに築きあげるのか。
何を武器に、何の(誰の)ために、何を賭けて闘うのか。
どのような答えに至ろうとも、その戦いのすべては架空、
でっちあげられたものであることは確かである。
・・このようなエクスキューズはもはや不要だろう。

セミナーの話に戻るが僕にとっての主戦場は言葉であると解した。
より正確にいうなれば、言葉にならぬものを言葉にする、
その言語化の作業であると思った。
一つの武器はインターネットであるし、もう一つには事業化である。
僕は学者でもなければ、ジャーナリストでもない。

自分探し的なことに言葉を費やすのは非常に草臥れるわけで、
ただそれも今しばらくは必要な作業なのだと諦めている。

 * * *

色々と読み漁っているが、あまり書くことはない。

2009年5月19日火曜日

スポーツ刈り

今週、ちょっと忙しいです。

ここしばらく、うだうだ言ってた五月病と思われる憂鬱は収まった感じ。
でも油断大敵、豚インフルに気をつけようぜ。
でないと社会から排除されちゃうよ。この豚野郎って。
うだうだにお付き合い頂いた方、あいすみません。

土曜日散髪に行った。
ここ四年ぐらい代官山の同じ美容室に通い続けている。
今年で開業五年目を迎える、ということだった。
拡張工事によりバルコニーにあって髪を切られながら見える桜の木は、
初々しい気負いとともに、その面影すらとどめなくなってしまったが、
いまでは10名を超えたスタッフが、落着きと安心感を整えてくれている。

28歳の店長は、僕が相手だからそうなのだろうが、
手先に集中して寡黙である。時々、美容院の経営について話してくれるが、
おもしろい。そんな美容師は、他にいないだろう。
女みたいな男に、ヘアカタログを見せれて、「どんなイメージがいい?」
とか聞かれても、いかん、虫唾が走る。彼なら、そんな野暮はしない。

「今日もさっぱりで?」
「はい。前回とちょっと違うさっぱりでお願いします。」

すばらしく洗練されたコミュニケーション。
それでも今回「やたらバリカン使うぞ」と思っていたら、
仕上がりは、昔懐かしい、スポーツ刈りだった。
いいけど。スポーツマンって思ってもらえるならいいけど。

寡黙な彼の手先と鏡に移る自分の顔をぼんやりと見ながら、
考え事をしていると、いいアイデアが浮かぶ。
顔にタオルをかけて頭を洗ってもらいながら、急にポジティブに啓ける自分がいる。
それで帰りには、ワインでも買って帰ろうかと思う。

あれ、そういうのないですか?

話変わって、GW中、あるイベントで谷川俊太郎さんを至近距離に見た。
おじいちゃんだった。
宇宙連詩っていう、魅惑的なイベントが近日ある↓
http://iss.jaxa.jp/utiliz/renshi/symposium09.html

宇宙に、参加費用を取るなんていう、せせこましい考えもなければ、
月曜日がどうという感覚も、当然ない。

2009年4月12日日曜日

六本木モダン

今日は、国立新美術館に行って「アーティスト・ファイル2009」を観る。

9名のアーティスト(8名は日本人)が参加していて、絵画、立体、映像と
幅広くある。作家の年齢は、若くても30半ばといったところで、
やはりこういう場に20代が参加するのは難しいのだろうか。

 * * *

夢があるならまず言葉にして人に話せ、そうすれば運が向いてくる

と言われた。

それで言葉にしていたら、口だけじゃなく動かないと、
となる。そのことは本人が痛切に感じている。

 * * *

アート(僕の捉える範疇は学芸全般だが)の世界で
最も貢献できるとできることは、何だろうかと思う。
いまは“プレゼンテーション”ではないかと思っている。
これは村上隆の一部受け売りだが、アートは本来、外見だけで把握される
ものではなく、きちんと作品としてプレゼンテーションし、
伝えようという努力と、それ以前の、創作にあたっての強いメッセージと
それをどう表現するかという戦略性が必要なのである。
デュシャンが差し出した便器は、何の文脈もなければただの便器であるし、
学生の思いつきで留まってもやはり便器である。
美術という場を明晰に理解した上で、デュシャンほどの人物が
確信犯的に実行したからこそ、便器は芸術になり得た。
いまの(日本の)アートはプレゼンテーションがしょぼい。
その責任の所在が、作家にあるのかキュレーターなど周縁にあるのか、
メディアなのか、日本という市場なのか、
あるいは僕自身の勘違いなのか、まだ判然としていない。

きれいだとかかわいいだとかの表面的な感覚で処理されてしまってよし
とするなら、身内で楽しむ趣味レベルにして、小手先の技をみがけばいい。
しかし、そんなものは長続きしないし、受け手の心を揺さぶることなどできまい。
伝えようとする努力を怠るのは作家の弱さ、自信のなさの顕れである。

事業はもちろん、映画や音楽でも、プロジェクトで成果を出すなら、
適切なチームをつくることが大切だろう。
作家がチームを組むのことを恐れるなら、それは作家の保身以外の何物でもない。
単独で始末をつけなければ、主体性が脅かされるのではないかという恐れだ。

 * * *

「動物化するポストモダン」を読む。
この書物で示唆していることは、一つには作品の組み立てであると思う。
(示唆的であるというのは読み手の意図によってある。 
 テクスト読解とはそのようなものだと今更ながら思う)

ここでは、ポストモダン以前(ややこしい言い方だが、1970年ごろより前)は、

超越的な大きな物語はすでに失われ、またそのことはだれもが知っているが、
しかし、だからこそ、そのフェイクを捏造し、おおきな物語の見かけを・・・
信じなければならなかった時代


とまとめられる。つまり、

生は無意味だが、無意味であるがゆえに生きる、という逆説

なのである。

そしてポストモダンとは、平たくいえば、その逆説を逆説とせず、
生の無意味さを前提としながら、それとは別に今ある自らの生を捉え、
流れる時間を充足していく乖離的併存関係にある。

生は無意味だとしても、生きていることには変わらない

というある種の諦念を、動物化と呼んだのだと思う。

ここでの議論はまだ有効であると思う。

ただそろそろ10年を経とうとしたころに、
10年若い世代が主張するとするならば、

生は無意味であるにもかかわらず、生きなければならない

という二重の不毛に対する強い自覚と主体性であると思う。

それはもちろん芸術のあり方にも影響するに違いない。
次の世代の芸術は、作家からではなく、受け手からもたらされるだろう。

2009年4月5日日曜日

これから先どうなるかわからないことが次の一歩を踏み出す理由として素直に受け入れられる日に君と出会った

書き出すと長くなるので詳細には触れないことにするが、
アートをビジネスにしようと思っている。
これは結果論である。
端緒はもっとプリミティブに学芸活動全般に対する敬意があるし、
それは僕自身が小説を(片手間になりながら真剣に)書いているということにもある。
ともかく今はここまでに留める。

それで少しずつマーケットの状況を調べ始めていて、
自分の頭の中で描かれつつあるモデルの必要性、妥当性、発展性に
ついて、より具体的に考えるようにしている。

今日は、ART FAIR TOKYO という国内で最大らしいアートフェアに行った。



道中、このアートフェアにも出展していたギャラリスト・吉井仁実(男だった)の
「現代アートバブル」を読む。

アートフェアには国内から100を超えるギャラリーが集まっていて、
アーティスト本人も何人か来ているようだった。

僕は美術について、知識も触れた体験も皆無に近く、
もちろん絵を描く技術もなければ、絵描きもと会う機会もほとんどない。
自分自身、絵を買ったこともない。
絵の価値 - もちろんMarket があれば、Priceもあり、単なる感覚ではなく、
経済学がある - について全くの無知の人間が、飛び込んでいっても、
買い手にも売り手にも全く相手にされないのではないか・・・
という不安がよぎる。その不安は当然のものだし、
居直っても仕方がない、明白なWeekness である。

しかし、アートフェアを異邦として探索しながら、だからこそ、
僕だからこそできる、アート・マーケットでのビジネスがあるように思い始め、
「現代アートバブル」はその直感を後押ししてくれた。

僕が空想しているものと類似のサービスはないこともないが、
どれもまだ真新しく、明確に成功しているものはなさそうだし、
何よりアートをわかる人間がわかる人間に対し提供する
クローズドなサービスであるに留まっていると思う。

ま、新参者だから新しいことができるなんていう甘っちょろい妄想は、
底の浅さと完成度の低さが露呈して、評価を受ける前に自滅する
というのが常ですけれど。

詳しくはまた別の機会に。
「現代アートバブル」は面白かったのでご興味ある方は一度ごらんになって。

2009年3月31日火曜日

冷たい桜

土曜日は大学の後輩達の卒業祝いのイベントが
あって、結果、朝6:30 までカラオケにいる。
学生たちにはタクシーで帰るという発想がなくて、
元気も有り余っていて、留学してしまう奴らとは、
しばらく会えないしと、色々な理由で、帰ろうとならない。

これで大学には知っている後輩がほとんどいなくなってしまう。
会には平成生まれも混ざっている。
知らずに僕も歳を取ったというわけだ。

帰宅して浅い眠りについて午前のうちに髪を切り、花見へ。
花見、というか、おかんのように?慕っている方と
そのお子様二名と公園ぶらぶら。
公園では泣いて走り回って泣いて走り回って、こけて怪我して泣いて、
その後、千鳥が淵を散歩した。桜並木に沿って混み合う人の中、
僕はくるくるとダンス・ダンス・ダンス 演じて、
手をつないで歩いた。五部咲きの桜、指先は冷たい。
抱き上げて外濠に浮かぶボートを見せてやった。
哀しげな目をしているのは、
楽しそうにボートを漕ぐのは自分ではない他人だったからだ。



歩いているうちに日は暮れた。
そんな一日の過ぎ方もあった。

小さな姉妹は帰りに木蓮の花びらをくれた。散り落ちた木蓮の花びら。
僕はそれを彼女たちが見えなくなった後、屑入に捨てた。
手を振って分かれた後、彼女たちの記憶は僕の姿を徐々に放散した。

それを無情と嘆くことはない。なのに、大人になってしまったら、
単純に人々のすれちがいを、ただそれと受け入れることができなくなり、
与えられない意味を追って、哀しみへと哀しみへと知らずに歩いている。