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2012年1月6日金曜日

早計

今年は少しずつでも書いていこうと思う。
以前にはこんな風に書いていたのだから。

僕はできる、やればできる! ということで。

新年あけましておめでとうございます。

昨年はいろいろありましたね。
ええ、昨年と呼ぶには近しい出来事が生々しく残っています。
震災も、無論ありました。私の大勢には影響ないですけれど。
(残念ながらスケールが小さすぎて!)

山椒魚戦争、読み終わりました。
SFの傑作全集に載りそうな、名作でございます。

チャペックはあのようなものを書いて、では自分が何をなせるのかについてどのように思っていたのでしょうか。
いまの私たちが思うほど、おそらく悲観的ではなかったはずだとして。

人生ってね、記憶で結果的に構成されるのでしょうけれど、
そう結果的にというところが大事なところですがひとまずそれは放っておきましょう、記憶というのは、密度×時間、つまり、数式できちんと表現しますと、密度という時間当たりの量という尺度に、時間をかけて成し遂げるのです。
で、長生きしたり早死にしたりしますけれど
同じ年月を生きたとしたら密度がパラメータとなりますよね。

ああ、こういうことおわかりですよね?

たぶんだから作家にあこがれるのだと思います。
時間を超越すること、その意味あるいは実践について
どれほどの人が問いかけてきたことでしょう。
それだけを切り取ってみるのもきっと有意義なのでしょうね。

普遍的といえば平坦すぎる、それは情熱でありきっと理想なのです。

2011年2月15日火曜日

閑居

なぜかわからぬけれど、不意にこの場所に戻ってきたくなる時がある。
いま久しぶりに読んでいる幸田文の類まれな気品というか、
粋な文章に触れてのことかもしれないし、今日偶さかYouTube で観た
じゃりんこチエの人情味あふれる喜劇の合間に挿す憂いに感化されての
ことかもしれない。
それとも雪か。
この冬一番の雪は道路を真っ白に覆い、ずっとオフィスに篭って仕事をしていた僕は、
遅い晩飯を買いに外へ出た時に初めて、深々と雪が鳴るのを聞いた。
母親と妹から珍しくメールが届いて、無事かと言う。
父親と兄貴が雪のせいで渋滞につかまり深夜になっても帰ってこれないらしい。
あいにく僕は徒歩通勤で今日は電車に乗ることすらなかった。
いや人に会うこともなかったか。

いずれにせよ、それらは全て、ここに戻ってくるまでの道中に
懐かしく拾い上げた一輪の花であったというほうが正しくて
僕はここに戻るために彷徨っているようなところがある。
別にここにずっと暮らす気もなければ、大仰に持ち上げるには慎ましすぎる、
旅を終えて、しばらくを過ごすための私の閑居である。

いま、自らに問うべき事柄はそれほど多くはない。
たくさんのことに少しずつ回答を出してきたし、
そもそも、問うべきことではないと悟って終わることしばしばだった。
都度提出した回答は、はじめ稚拙であるように思えても、
その実、多少の補強はしながらも差し替える必要はなかった。
それほど世界は、大きく変わったりしなかった。

世界が一様と思いたいのではなく、私の寡聞を勘案したところで
私の世界が私の知見の範囲にしかあり得ぬこともまた明白で、
自らの卑小を嘆くことがいかに詮無きことかと知ったのは
大きいのか小さいのか知らないが、確かな一歩だった。

無力感に苛まれるのはしばしばで、後悔もいくらかある。
私は幸せだろうかと問うことはなくなったが、
いま自分が生きていることで、いや、こうして誰かの目の前にいて
日々あくせくと尽くす行為の幾ばくかは、その人の幸せに貢献しているだろうか、
と問わずにはいられない。
私という人間と出会ったことが、その人にとってよい思い出となるのかどうか。

私ひとり不幸に堕ちることで人々が救われるならそれほど楽なことはないが
そうお気楽に考えることはできないので、私は今日も明日も生きることにしている。

2010年11月23日火曜日

ノイズ

現代において、私たちは幸せでなければならない。
日本において、と遠慮がちに留めるとしても。

その圧によって私たちはどう生きざるを得ないかについて
僕はずっと考えていた。
おそらく僕たちひとつ前の世代は
その頑なな幸福に対し、皮肉な笑みを浮かべ
自演的な快楽に溺れることができたし
いかにその桎梏から逃れるかについての議論を
遊戯的に交わすこともできたのだと思う。

私たちは知的な先輩たちに憧れの視線を送りながら同時に
逃れられぬ呪縛、敗走に次ぐ敗走の現実を無視することもできずにいた。
行動は政治的であらざるを得なくなった。
早くに政治に絶望していた僕は-いまなお-可能性としての芸術に
小説というアプローチで臨むことにし、結果的に、
明らかな方向性を見出すことはできていない。
が、信じている。それ以外残されたていないという諦めも含めて。

幸せでなければならぬという事実に対し求られるのは、
であればこその現実的な重み、煌びやかでも慎ましくてもいい、
幸福の重量なのである。ずしりと腹に据えられるような。
未来に広がる茫漠とした不安を糧としての、
その責任を背負い込むことで生じる不幸への屈折した希望は
重量を求めることで紛れ込むノイズであるかのようだ。

生きることはできる、だがそうでしかありえない牢獄のなかで
発狂する、正常な者たちによる咆哮。嗚呼。
数十年程度の時間に、そう嘆く必要もなく、期待し過ぎるでもなかろうに。
そら陽が昇った、ややもすれば沈む。
ただそれだけのことだ。

2010年2月16日火曜日

突然の終幕

このブログは僕にとって3つ目だが、
その役目を終えてしまった。

一年半という時が流れた。
その間、僕の思索はその大筋に全く変化がなく
その変化がないことを確かめ、
情けないやら歯がゆいやら、
という思いは捨ててそれをむしろ頼みにして
歩むことに決めたその一歩一歩であったと思う。


2004年12月、もう6年も前のことだが2つ目のブログに
移行したときに、僕はこう綴っている。
「インターネットで自らの文章を公開するという新しい試みの実験場として、たいへん有意義な取り組みでしたし、そこに書いた50余の文章は、今でも責任ある僕の思想として通用するものばかりです。
 とはいえ、読者にとってみれば親しみやすい文章ばかりではなかったと思います。公開とはいえ、半ば僕自身のために書く早産な言葉たちは、僕以外の人たちにとって容易に理解できるものではなかったでしょう。実際、必ずしも理解してもらうために書いていたわけでもありませんでした。」

このことは未だに変わらない。
だからたぶん僕は書き続けるのだと思う。

そう、もちろん僕は書くのを辞めることはない。

最後に、このブログでメインコンテンツだった書籍の紹介で締めたいと思う。
(結局アフィリエイトでは一冊も売れなかった。)


「イリュージョン」は男子の心を無邪気にくすぐる。
広い青い空があってそれだけでわくわくする。
そんな作品だ。

実はいま、ゆっくりと本を読んでいる気にはなれなくて
「イリュージョン」の残像は断片的にしかない。
よい作品であるだけに、とても残念なことだ。

そんな状況であったにもかかわらず、「下妻物語」ときたら、
電車で読んでいると知らぬうちに没入し、
くっくと湧き上がる笑いを抑えることができないのでした。
阿呆に見られてはいけないと思いながら、
ニタニタ笑みを浮かべたまま地下鉄のコンコースを過ぎ、
乗り継いだ電車が発車すればまた物語の続きへと
立ち戻らずにはいられないのです。

洒落の効いたフレーズが、女子のネイルのラメみたいに
散りばめられていて、安っぽい輝きを放っています。
その種のものに対して、
男子はたいそう馬鹿馬鹿しい事のように眺めながらも、
存外心のうちでは可愛らしく感じているものです。
その感覚を否定したりせずに素直に受け入れられる自分にこそ
むしろ酔うものなのでせう。
ストーリーは単純明快で特に何も申し上げることはありません。


それではこれにて終了です。
懲りずにまた書き始めることと思いますが、
次に続けられる言葉が何であるよりもまず
この一年半に書いてきた言葉のうちの何かが、
あなたの胸のうちに残っていればこれに勝る幸せはありません。
僕はそのことに過大の期待はしてはおりませんが。


(了)

2010年1月31日日曜日

陽光

見渡す限りと思うとそれが全てになることを、彼は物足りなく感じたのだろう。
藍色の空は冷たく澄んだ大気の向こうに際限なく広がっていてそれだけで美しく、風景は白く木目細やかに化粧された雪山とカラフルな人々の笑い声と木々の直線的な力強さを加え、実に雄大と言えるものであった。けれど、彼はその合間にある農村の存在が気に食わぬようだった。大地において彼は唯一の光だった。そうしてそこに立っていた。しかし、農村はあくまで煤けた姿をさらし、陽光の持つ温もりを怠惰にもらいうけてへらへらと媚びた笑みを崩すことができなかった。それは能面のように張り付いていて、真に価値あるものがなんであろうと、本当の美しさがなんであろうと、幸福の意味がなんであろうと、過ぎ行くのを待ち、時は流れ止まず、流れ流れていくそのあいだ、ただじっと笑みを浮かべて待っていた。流れはひとつの風景として固着し聳え立ち、その前で自分は全くの無力だった。というより、眠りから覚めていないことを知って夢のなかの災難が苦にならぬとうよりは無意味になってしまうように、流れはただ無意味だった。
彼が怒り咆哮していたのは、そのような怠惰についてなのであった。
だからといって俺はこの空にまさるものがあろうはずもないことを知っていた。その知は俺の限界を輪郭するだろうか、彼の志向する世界について、俺は何か見劣りする点を持つだろうか。
俺は彼の傲慢が無知に依るものであることを見抜いていた。彼が光り輝くのはその愚かさを省みることがなかったからだ。
おおい、と俺は叫んでやった。彼は稚拙に明滅しながらおおいとそれに応えた。彼はゆっくりと滑り降りてきて、そこに脅えのあることに今度は俺が腹を立てた。
雪山の化身となって俺は彼の小さな体躯を厚い掌で叩いた。彼は狂い叫んだ。光を閉ざすなと俺に命令した。
途端に陽光は彼から光を奪い取り、ゲレンデで運動する者たちに分け与えた。腑抜けた温もりが広がり、重い雪の滞積は風邪っぴき小僧の鼻水のように愚図ついてしまった。しかし俺はそれで良いのだと思った。俺はもう一度おおいと彼を呼んだ。彼は黙って藍色の空を眺めていた。

2010年1月17日日曜日

一里塚

これからの10年をどう生きるか、
僕にっていまそれが最大の関心事である。
もちろん先のことなどわからないというのが
絶対的にあるけれどもね。

「ゼロ年代の想像力」は今後を考える上で非常に役立つ一冊であると思う。
大学受験に向けて和歌山で必死に勉強していた頃、
受験戦争に勝ち抜き上京して一旗あげようと夢見ていた頃、
黒煙をあげるWorld Trade Center の映像が突然テレビに映し出され
そうして僕のゼロ年代は始まった。
東京で見るあらゆるものを吸収し、反発し、嫌悪し、憧れ、誓い、諦め、
慎重にゆっくりと、でも何かに急き立てられるような焦りのなかで
僕はまるで早足で歩くみたいにゼロ年代を過ごした。

テレビドラマ批評という僕にとって馴染みのないアプローチであるが、
本書は、気付いたらゼロ年代の渦中にいた僕が無意識のうちに
感じていたこと、何とか言葉にしようとしてブログで書いていたことを
きれいに整理してくれている。

その上でこれからの歩み方を示唆してくれるのは
何もテレビドラマだけではない。
本書ではほとんど相手にされなかった金原ひとみや松尾スズキの作品に
それを見出すことができるし、本谷有希子、枡野浩一、岩井俊二だっている。
小説において同世代の作家となると寂しい気持ちは確かにあるけれど、
僕が寡聞であるだけで実は大勢の新しい想像力が
生み出されていることだろうと思う。
それに過去の作品からも僕たちは未来を学ぶことができるし、
何故か本書で全く言及されなかった海外の作品からも
僕たちは新しい想像力を培うことができる。

視野を広げて映画や絵画、学問といったところからも
栄養を摂ることができれば、さらに世界の奥行きは広がる。

こうでなければならないということはもはやない。
多様であっていい。
宇野の告白に共感する。
これからの十年はもっと自由になる。
僕たちはその責任を引き受けなければならないのだ。
僕はそのこと自体を悲観するつもりはない。
とにかく前進すること、そして幸せになることだ。

2010年1月4日月曜日

ご挨拶

あけましておめでとうございます。
今日、東京に戻ってまいりました。
もはや酒のことしか記憶にない正月で、
昨日も大阪・道頓堀のあたりで酷く酒を飲んで
二日酔いで気も塞ぎがちな新年です。

2009年のことを思い出すと随分酒に乱れた一年でした。
それ以前も決してお行儀がいいとは言えませんが
精神的にけっこうきつい一年ではありましたし、
それを酒で補っていたのだと思います。
しかしそれも昨日で終わりです。
2010年は他にやるべきことがあり、行動せねばならず
それはこの肉体によってしかなされないのです。
煙草もすっかり辞めてお酒も控えめにして
つつがなく精進したいと思います。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

2009年11月12日木曜日

夜の音が鳴りつづく

この深夜は屋根に跳ねた雨滴の音、樋を伝い流れる音の残存が
街を冷ます静けさとなり響いている。

人間はどこまでいっても天候に左右されて
あれだこれだと物思いにふけるのだと思う。

書くことによってしか僕は何かを為しえない。
どのような場で何を書くかは、まずもって基準ではなく
ただ書くということによってのみ為される何かがある、
という前提だけが横たわっている。
その何かを言い表すのは酷く困難に思える。

誤解を恐れずにいえば、描くことに対する僕の興味は、
そのような僕の、書くということに対する執着にのみ依る。
事業として成るどうかは極めて局所的な議論でしかなくて、
そもそも書く・描くことが僕たちが生きるにおいて
無視できなくなってきているということから出立する。

他人は僕のこの書くことへの執着について疑義を呈するに違いなく、
僕はいくらかの弁明を試みなければならないだろうと思う。
と同時にそれを億劫に思うことについて
僕の逃避なのか怠惰なのかと、これまで何度も自問してきたし
あるいはこの場所でも呆れるほど書いたのではないかと思う。
書くことについて書く、という迂遠な。生煮えの。
そうして一歩一歩確かめないではいない僕の臆病なのだ、
ということまでは知った。

「たくさんの人が、たぶん本当はもっと自然に分かり合いたい、
 話したいと感じていると思う。 」
とある人が言っていてこんなふうに素直に表現されることに
驚きや戸惑いを感じたのは何故だろうか。
分かり合うとは何だろう。
なぜ分かり合おうとするのだろう。
小説も絵画もそんな疑問に応えようとする努力の一つの形だ。

言葉が先に先に複雑にいりくんでいきよくわからなくなる。
すかっと晴れることを願いながら、明日の曇り空を見上げた。

2009年7月6日月曜日

悦びに咲く花

明日、
目覚めたら梅雨空の湿った空気が鼻先に届いていて、
カーテンの隙間からは朝の透明な光が差している。
夜のうちに降った雨がこれから歩いてゆくアスファルトを
なめらかに覆っていて、きらきらとまばゆい。
記憶の中で笑う君はこれまでみたことがないほどの
純粋の水のなかで飛沫をあげて遊んでいて、
私はそれを遠くから眺めている。
笑い声がする。薄い白い皮膚にふくよかな血を淀みなく流す
年端もいかぬ少女が、アスファルトの岸辺を泳いでいる。
アイスコーヒーの注がれた透明なグラスを伝う水滴が、
裸の太腿に落ちて冷たかった。

夏は元気に泣いていた。
私は熟練した産婆のように夏を、高らかにすくい上げ、
泣きじゃくる子に微かな接吻をした。

世界はそこからゆっくりとひらき、
私は満足のいく朝食を食べた。
綺麗なブルーのネクタイをして、磨いたばかりの革靴の紐を締めた。

また別のところから笑い声が聞こえた。
それは数軒先の若い夫婦の笑いだったろうか。
定かではない茫洋とした世界のなかにその笑いは溶けていった。
燃え尽きた蚊取り線香の灰がベランダで風に吹かれ舞った。
玄関の扉を開けるとぬるい街の空気が遠慮なく私を包み込み、
後ろ手に扉を閉めると私は一歩踏み出して、
また違う笑い声と誰かの足音を聞いた。
私の足音がそれに混じった。
夏に包まれた私の呼吸音は何よりも私の耳に響き跳ねた。

2009年6月27日土曜日

爪

夏になった。
この季節の生命の充溢に官能するのは快い。
夏を書いて見事な三島由紀夫の情景と自分の記憶とが交じり合い、
動物的な臭いのする旧懐へと変わる。
多少キザな表現かもしれない。

みんな何を考えて夏をすごしているのだろう。
暑気それ自体は悪しきものとして傍にいるのだろうか。

爪は関係なく伸びる。私の身体の一部だ。
世界が私の部分であるのと同じように。

俺、思春期みてえだなあ。
なんで「春を思う」って書くんだろう。
希望を書くっていってたあれ、どうなったんだろう。

やべえ明日早いんだよなあ。
もう一杯飲んだら寝よ。

笑って笑って。はい、チーズ。

2009年6月21日日曜日

創ること

朝から体が重く感じられて今日は寝たり起きたりを
繰り返し終わった。どうも風邪気味らしい。
乱雑な生活をしているのは自分でもわかる。
が、どうにも止められない。いや本心を曝け出すならば、
更なる乱雑を僕は求めているのだった。
偽装された退廃とでも言うかのように・・・。

なぜ偽りなのか。
雷雨のあと雲間から挿す一条の光にこそ、
快晴の夏空にはない創造の契機がある。
しかしだからといって敢えて破壊から始めると
するならば目的と手段の混同、
単純な自己欺瞞が浮き上がってはこないか。
演技のなかのカタストロフなど・・・。
その矮小は笑わないでいられない。

しかし、何もそう責めてばかりいることもない。
幼児の夢見がきらきらと輝いているにしても、
そればかりが希望ではなかろう。
雑踏のなかに塵と舞う希望があってもいい。
人間の臭いをつくる粒子となっている。

2009年6月11日木曜日

二十六歳の私によせて

誕生日などというのがあった。
ひとつ歳をとった。
まだ若いには若いだろうが、
梅雨に濡れる若葉のような熱気を含んだ飛翔を、
真摯に興じれるほどの爛漫は既に去っている。
若さは無垢な悲哀を笑っても泣いても、
その表情の影に隠そうとしない。
あるいは悲哀こそが若さにとって光なのだ。

篠山紀信のヌード
を見ながら、しかし、写真の中の若さは、
過去に連なっているように思えてならなかった。
(ああこんなふうに酒を飲むというのは
 傍目には切なすぎる光景だろうか・・・)
ヌードに誰しもがみるのは「いつか来た道」のその懐かしく、
甘酸っぱい過去の記憶なのだ。

小説で描かれる場合、それは単純に性行為の描写を思い浮かべての
ことだが、そこにあるのはいま現在の幻想である。
いつか村上春樹が「セックスと死は書かない」とどこかで言っていた
ような気がするが、そのどちらもが小説の中では不可避的な欺瞞を、
つまりは幻想のものを引き出してきてその希少性を問うような不毛が
あるからだと思われた。
村上春樹が実際どうだったかこの際どうでもいいが、
文章の中のエロティシズムは、幻想をあるいは未来を志向するのだ。

とはいえ、そのどちらをも書かないというのもまた不毛だ。
村上春樹はそうは言いながらどちらもたくさん書いているような気もする。
だったら上の引用は全くの作り話かもしれない。
不毛といってそれで済むなら、人間は人間たり得ない。

話が逸れた。篠山自身は、「主体がないことが、僕の主体ですね(笑)。・・・主体を消すということで撮るというのとは少し違う。・・・見たいっていう欲望の塊なんだね。」
と言うが。
見ることへの欲望、その過剰は自尊心の絶対に由来する。
ヌード自体はインターネットのおけるエロ情報の氾濫、
雑誌市場に縮退などによってかつてほどの盛り上がりはない。
今回篠山が美術手帖などに出たのもヌードをアートとする以外に
ヌードの生き残る方途を、いまのところ見つけられていないからだ。
(最近テレビでルネサンス絵画のエロティシズムにについて解説していたし。)
その判断の可否あるいは功罪はともかくも、より本質をとらまえようと
するならば、それは記憶の喪失という問題へといたる。
パール・バックが書いた「大地」への記憶、
「ゴッドファーザー」で描かれた家族の記憶、
司馬遼太郎が追った「この国」の記憶・・・。
鮮明な記憶をなくし、浮遊する私たち、
それは事故というよりも、重厚に練りあげられた企図によって、
戦略的に放擲したのだとしても、結果的に、
記憶の喪失は自尊信の喪失と同義だった。

「所有という意識はどうしてもありますよ。僕の眼が見たんだから、僕のものだって言うね。」
と篠山が言うところの意味に共感しづらい点があるとすれば、
それは上記の自尊心という一点に尽きるのではなかろうか。
記憶をめぐる考察をここではしないが、
忘れ去ることに聡くなった私たちは、ただしかし、
忘れ去られる不安にもまた苛まれる。

二十六年間を祝して ――― 僕はその幾ばくも憶えてはいない。

2009年5月2日土曜日

迷いの果てに

「何に迷っているのだ?」と問われて、僕は言葉に窮した。

それは僕が選択に躊躇しているからではなくて、
この透明な世界に生きることのイノセンスを、
所与のものとして引き受けている僕と言う主体が抱える
根源的な遅れに、その原因があるように思う。

実存主義的にというとさらに話はややこしくなるが、
<生-死>という一連の繋がりが、主体の選択によって、
世界と同じ平面状で屹立する場合には、
選択は意志となり得る。
しかし、この世界が、完全なるものとしてある限り、
(なぜ完全なのかと言い出すと長くなるので置いておく)
<生-死>の対立軸をあえて持ち込もうとするのは、
世界に対する主体性としてというより、
主体性への飢えがつくりあげる強迫観念でしかない、
と言える。

世界がたとえ完全なものであったとしても、
僕たち(と敢えて複数形で語る)は、その中においても
やはり選択を繰り返している。
<非決定>の透明な世界における、決断の数々は、
たとえばRPGにおける勇者の一歩のようだ。

ところが、そうであったにせよ、僕たちは進まなければならない。
映画のフィルムが流れるように、押し出されるようにして進む。
ひとつひとつの決定は自作自演で織られていく。
僕たちの迷いは、そういう意味で多層化している。

軽々に口にするべきではないと思うが、
先の連続殺人で、容疑者が死刑になりたかったという
語りは、僕たちの危うさが滲んでいるように思う。
どうして自死という選択が彼の中になかったか。
あるいはなぜ単純な暴力の狂気として発露しなかったか。

僕たちは何に迷っているのか?
その問いは多層化した僕たちの狭間にしみ入り、
僕たちはその問いの前で、自らの弱さを自覚する。
時は流れていく。

* * *

ゴールデンな日々の幕開けなのに、暗い話になってしまった・・・

2009年4月1日水曜日

April Fool

四月一日は雨の降る日だった。

今日入社式を迎えた方々、
短い学生生活を終えて、社会に押し出された方、
長い学生生活を終えて、終に企業に勤めることになった方、
みんなおめでとう。
あと何十年と生きていかなくてはいけない、世界へ。
(ようこそ、と胸を張って言えるほどの身分ではないけれど。)
そんなときに誕生日を迎えた方、
これまでの誕生日もこれまでの誕生日も、
社会中のばたばたに埋もれてしまったかもしれませんが、
ほんとうにおめでとう。

僕は嘘をつくのがめっぽう苦手で、
嘘の楽しい話を書こうと思ったけれど、
フィクションを書いても本心になってしまうのはどうしたものだろう?

裏表はないけど、裏も表もよく見えない。
一方で、そうなのかもしれない。


こんなことばかり書いててもよくないな。
だからといって、ユービックを読んだという話にしてもな。
フィリップ・K・ディックは大好きな作家だ。
ジャンルではSFだが、ちっともScience はない。
先日ある人と飲んでたときにどんな小説を書いてるんだ、
というので、SFと言った。
現実と思うものにゆさぶりをかける、現実と幻想がない混ぜになる。
幻想も現実であると知れる。次の一歩は目の前にあって、
次の一歩を踏み出すことで見える世界は、踏み出すことでしか、
たち現れることのない、永遠なる未来、不在としての存在としてあって、
幸福を志向することに素直になったとき、その不在を希望と呼ぶ。

True or not ?

2009年3月20日金曜日

われら

何でこう雨ばかり降るのだろう。

滞留する曇、乱雑に降り落ちる雨、濡れそぼつ街、
あなたはそれを見て何を思うだろうか?


一片の雲にもけがされていない青い空。(古代人の趣味というのは実に野蛮なものだった。この不合理で乱雑な、愚かしく押しあいへしあいしている蒸気のかたまりが古代の詩人たちにインスピレーションを与えることができたのだから。)私が愛するのは --われらが愛する、といってもまちがいないはずだ-- ・・・滅菌された、非難の余地のない空だけである。


『われら』で描かれる世界で、人々は時間律法の通り一斉に起床し、働き、眠りに付く。ガラス張りの部屋で生活し、部屋のID(O-112号)が、彼の名前である。一日に二時間ある、自由時間には政府から「ピンククーポン」を買い、ガラス張りの部屋にブラインドを降ろし、好きな相手とセックスする許可が与えられる。
煎じ詰めたような合理的、社会主義の世界・・・私有財産は一切認められず(子供すら私物ではない)、創造力・自由・個性、それらはすべて暴力、不幸、不安の源泉となるものであって、澄み切った空のように何もない心、結晶の原子配置のように整然とした生活こそが、「われら」-決して「われ」を単独で捉え得ぬ- の理想である。

なぜ私たちは「われら」で描かれる世界に、違和感を感じざるを得ないのだろうか?
「毛むくじゃらの手」を眺めて、私たちは幻惑される。
本当の私たち、私たちの本能とは、何を求めているのだろうか?
創造力は、私たちを幸福へと導く光だろうか? それとも死に至らしめる病だろうか?

現実と幻想が交差する、正確には、流れゆく時間を「現実」「幻想」と区分していく私たちの勤勉が、さらに加速する流れの中で破綻し始める、まるで砂上に造る城が風に曝され、サラサラと崩れ落ちていくように・・・嘲り笑う声に出会う。私たちは自らの卑小に恥じ入る、・・・しかし、私たちは誰の声を聞いたのだろうか? それは私たち自身の声ではないだろうか?

2009年3月17日火曜日

春の手紙

日曜日、青空は瞬きを忘れたかのように無限に澄んでいた。
窓外でさわさわと鳴る風、湿気の少ない軽やかな空気、
桜が咲きはじめる予感、気のおけない会話が持つ静けさの音、
目に見えないものが主役で、背景の部分を形づくる私たちは、
とつぜんのファンタジーにたゆたう、少年少女のようだ。

12:00  開始

アボガドのサラダと手羽先と、ゴーヤチャンプル、
全部作ってもらっちゃって、旨くて、
僕もチヂミ作ったらうまくて(ああ、セロリもあった)、
それで、缶ビール5本、ワイン1本、シャンパン1本、
焼酎ほぼ1本 を三人ちょっとで飲んでしまって、
そのあたりにいくとファンタジーと呼べない。
相応しい言葉はなんだろうか。
昔から言い伝えられてきた中に息づく物語とでも?

おみやげに持ってきてくれたパンも菓子も旨くて、
みんな勝手に自分が旨いと思うものを持ち寄っていて、
そこに食い合わせだったり、何料理なんていうのはなく、
主役は、私たちを包んでいる、私たち自身の体温であり、
鼓膜に触れるそこに発せられた声であり、
無限に澄み切った優しい気持ちであったりする。
それで春の空のことを思った。

22:00 解散

10時間がぶがぶ飲んでいると、さすがにちょっと弱った。
弱った以上に元気をもらうということもあるのだと知った。

そういえば、カメラを用意していたのに撮るのを忘れた。
楽しすぎて大満足のときには、その場面を写真に残して
後でどうこう思案する気持ちにはならないのかもしれない。

久しぶりというと語弊があるけれど、
周りにいてくれる人たちへの感謝の気持ちが絶えなくて、
これを書いている。ありがとう。
この言葉は、昨日いっしょにいた人たちにはもちろんのこと、
これを読んでいる人たちだけでもなく、
僕の過去と現在と未来の中にあるすべての人に宛てられたものだ。

不意に滔々と、一方的な謝意を書くのは僕らしいかもしれない。

2009年3月8日日曜日

僕たちは夢を見るか

銀座

まもなく就職して丸三年を迎える。
ご多聞にもれず、同期では、転職をする人、転職したいと思う人が、
続出していて、二年半で転職してしまった僕は、
少しの先見があると思われて、転職しての今の心境だったり、
今後どうするのかと言うような話を、相談に乗るというのでもなく、
二人の興味の一致することとして話題にする。

ひとまず落ち着くところの僕の考えとしては、
「あなたの夢は何ですか?」
という問いに対し、素直に率直に答えることができないと
いうのでは、やはり寂しい、と思う。
何事においても、事業性であったり、安定性、収益性、継続性、新規制、
といった指標に掛けなくては判断できないとするのは、虚しい。
夢は夢としてまずあってそれで、実現を目指すことがある必然を持って、
第一義となり得る。
指標は如何様にも解釈できる。それを頼みにすることはできない。

夢を持つことは難しいだろうか?

三年で辞めることは、大人たちの視線・言葉の前で何となくの後ろめたさがある。
しかし、いま正にその時期に直面している我々にとってその選択は、
至極自然なものであって、悲観にも楽観にも寄らず、
いたって生真面目になされている。

環境は重要ではない、と言えば嘘になる。
けれど夢の実現のため、都度のステップにおいて環境は変わらざるを得ない、
といえばそうである。そのことに現在性という名を与えたければそれでもいい。
いずれにせよ、僕たちは環境に依存できないことを知っている。

絶えざる躍動の中、僕たちは夢を見る。

2009年3月1日日曜日

闘

事切れる寸前にその余韻を残そうとする足掻きを去るものの未練と
呼べば切なくて、残るものの愛情がみせる幻影と思えば、
儚いのは生命ではなくて記憶のほうであると思える。

二月は、唐突に雪の降る日とともに去った。
月日が流れるのは当然であって、それをどう処理するかは、
流れに乗るものの本懐というわけである。
それで多忙と言うことが悩みの種になる。
実にならぬ種である。
熱心に打ち興じているときは時が流れるのを忘れ、
無為に過ごしているときは時の流れと無縁にただ頭に
浮かぶ事々を後追いして過ごしている。
規則正しい生活をしていれば、幾日の月日もある一日の相似
としてひとまとめにしてしまうし、
不規則な生活の中で右往左往していれば、本質が何であったか
見失いそうになり、細い軸を頼りなげに拾い上げて侘しくなる。
一秒の記憶が二秒、三秒に感じられることはなくて、
数時間の記憶は一秒になり得る。多忙とはそれである。

記憶を追い求めるのはつまらない。
幸田文の「闘」を読んでいて、そんなことをつらつらと思う。
人生の大半を病院のベッドの上で過ごす。
それも好きでそうしているのではなくて病におかされて
そうする以外になくて、ただ無為に横になっている。
死ねば死ぬでそれで生は終わるし、治っても何にも得るものなどない、
ただマイナスがゼロになるだけであり、過ぎた時は取り戻せず、
失うだけの日々だったにも関わらずその日々の苦労と言えば並みではない。


「彼等はよき土にまかれた、よき種だ。その実り、千倍万倍か。・・・結構だよ。
だが、うらやましいともいっていられないほど、粃(しいな)の種ってものは一生懸命だ。
実りどころか、自分の命を生きようとするだけで、精一杯だ。
だけど、こいつが下らないんだなあ、自分一人は一生懸命なんだけど、
はたから見ればただの場所ふさげってもんだ」


幸田文の文章は美しい。
美しさという点においては、彼女の文章をおいて他にはない、
と思っている。
文章の美しさを文字の並びだけで語ることはできない。
生への潔さ、時への敬意、儚いものへの愛情と言っても、
それで美しさを象徴することなど、できぬとはいえ。

2009年2月23日月曜日

MON 6:42 AM

気が急く。ここ2週間ほどはイベントが重なっていて、
決済を仰ぎ、判断を乞い、自分の仕事を自分でチェックしながら、
としていると、思うように進まないが、進まないと言っていられない
状況にあってそれで気持ちばかりが先行する。

金曜日は久しぶりに朝五時まで飲んだ。
西麻布の会員制のクラブみたいなところに連れて行ってもらって、
素人っぽい女の子たちが入れ替わり立ち代りしていて落ち着かない中、
酒を飲む。そういうところの酒がうまいということは(これまでの経験では)
決してなくて、ウーロンハイやジンロの水割りを飲まされるのには辟易する。
といってああいう雰囲気で高級なシャンパンを空けようという
気にもなれないのは貧乏根性だろうか。
お店の店員に自分の酒をがぶがぶ飲まれるのは、訳のわからぬシステムだ。
相手が素面だと思うと話す気も失せるという気持ちはわからぬでもないが。
三時に六本木に移動した。あの街もその時刻になると特有のけばけばしさ、
派手さが抜けて、素顔を垣間見せる。そのギャップに少し和んだ。
それは疲れと同義かもしれないといまは思い返す。

こうやって遊んでいることと気が急くことは矛盾しない。
規則正しい生活をしていてそれで済むなら余裕が生まれる。
朝五時までとなると、ほとんど丸一日飲んでいる。
次の日から、家事をしたり仕事をしたり映画を観たりと
しようとすると、時間に追い立てられる。
花粉症は焦燥感を助長している。
ゆっくりと飯を食う気持ちは萎え、本を読む気も散漫とする。

あと一、二週間は、流れに身を任せるしかない。
みんなそういうときにどうしているのだろう。
流れから逸れることはできない相談であるから、
行動レベルでは他に選択肢がないわけだが。

2009年2月11日水曜日

ラヴレター

昨日は恵比寿でしこたまワイン飲む。
帰り際にバーに寄ってバーボン飲んだのがいけなかったのか、
若干酔いが残った。せっかくの祝日なのに、心拍数高めで
ひより気味に一日を終えた。
近所にいい定食屋を見つけた。お袋の味どころか、
七十歳くらいの爺さん四人で営まれている。
しばらく足しげく通うことになりそうだ。

* * *

昨日話したことを加筆してメモ的に残す。

作品と作家の関係性について、作家は過信すべきではないと思う。
作家の主体性はについては、「リアルのゆくえ」をネタに以前少し書いた。
その話と関連することとして、『世界に主体的に関わる自己の単独性を巡る神話性』
を作品に込めようとすると、作家としての単独性が、作品の中に本源的に回収されて
しまうことになって、それは作家の単独性を一般論化、つまり、ある規定された範囲
の中での事実として留めることになって、作家としての運動、飛躍、破壊、創造の力
を失わしめることに繋がる。

作家は作品に対し責任を負うべきである。
そのことを疑うわけではない。
しかし、作品を個人的な体験として、作家自身が語ってしまうことは、
作品の社会性を否定してしまうことにもなるし、そうすると、
作品を受け取る側の立場は極めて怪しいものになって、
受け手は、ひとつには、無関心の闇の中に放りこむか、もうひとつには、
必然性を論理的に語ることで所与のものとして受け止めるか。
それ以外になくなる。

作家と受け手(あるいは評者)は、対等ではない。
かつ、作家は作品に対し特権的な立場にある。
しかし、そのことを過信して作品の枠内に自身を収めようとするのではなく、
作品の運動性に自覚的でいることは、実践としての創作活動を
豊かにしてくれると思う。

というようなことは、小説や音楽、絵画といった作家自身で
創作活動が完結するものであれば理解しやすい。
一方で商業デザインであったり、建築であったり、
というような経済的社会的制約条件の網の目の中で、
なおかつ外部の人々と共同して作り上げるようなものでは、
そもそもの作家の主体性が曖昧なものにならざるを得ない
危機感があって、それで作家はなるべく特権的な立場に
留まろうとして、先に述べた過信を引き受けたくなる。

と長くなってきたのでまとめる。
結局何が言いたいのかというと、
死んで伝説なるよりも前に、生きて運動を先取することを目指したい。
運動としての創作活動は、作家の徒死的な勇気と、作品の闇雲な射撃とで
成立するという意味で、ゲリラ的であるべきだ、ということだ。
運動のベクトルと個人的な体験の蓄積による必然性が
ぴたりと一致する必要はないし、そも不可能にすら思える。

公共性と固有性を巡る作家の苦悩が、少しでも和らげばいい。