2009年11月12日木曜日

夜の音が鳴りつづく

この深夜は屋根に跳ねた雨滴の音、樋を伝い流れる音の残存が
街を冷ます静けさとなり響いている。

人間はどこまでいっても天候に左右されて
あれだこれだと物思いにふけるのだと思う。

書くことによってしか僕は何かを為しえない。
どのような場で何を書くかは、まずもって基準ではなく
ただ書くということによってのみ為される何かがある、
という前提だけが横たわっている。
その何かを言い表すのは酷く困難に思える。

誤解を恐れずにいえば、描くことに対する僕の興味は、
そのような僕の、書くということに対する執着にのみ依る。
事業として成るどうかは極めて局所的な議論でしかなくて、
そもそも書く・描くことが僕たちが生きるにおいて
無視できなくなってきているということから出立する。

他人は僕のこの書くことへの執着について疑義を呈するに違いなく、
僕はいくらかの弁明を試みなければならないだろうと思う。
と同時にそれを億劫に思うことについて
僕の逃避なのか怠惰なのかと、これまで何度も自問してきたし
あるいはこの場所でも呆れるほど書いたのではないかと思う。
書くことについて書く、という迂遠な。生煮えの。
そうして一歩一歩確かめないではいない僕の臆病なのだ、
ということまでは知った。

「たくさんの人が、たぶん本当はもっと自然に分かり合いたい、
 話したいと感じていると思う。 」
とある人が言っていてこんなふうに素直に表現されることに
驚きや戸惑いを感じたのは何故だろうか。
分かり合うとは何だろう。
なぜ分かり合おうとするのだろう。
小説も絵画もそんな疑問に応えようとする努力の一つの形だ。

言葉が先に先に複雑にいりくんでいきよくわからなくなる。
すかっと晴れることを願いながら、明日の曇り空を見上げた。

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