2009年11月8日日曜日

あたたかい友を迎えて

今日、自宅に一幅の絵画が届いた。
絵のある生活を体験してもらおうという粋な計らいなのだった。

壁に掛けようというその瞬間の興奮は
買ってきた服を取り出して鏡の前で合わせてみるときのものと
同じで、そのポジティブな高揚は癖になる。
美術館のなかで眺める絵と生活のなかにある絵との歴然とした違いは、
美術館の中にいて異質なのは私であるが、
生活のなかにおいて異質なのは絵のほうである。
それで自然と絵に視線が留まりなんだろうと思う。
ああ、なんだこんなにあったかいヤツだったんだ、と気付く。
異質な私は環境から私を守ろうとするけれど、
生活の中にある私は豊かさのなかで異質を迎え入れることができる。
僕はいま意外とあったかいヤツだった無口なこいつを
眺め、夕食に何が食いたいんだと問うてみたりする。


「本のページに火がつき、燃え上がる温度・・・。」
という、いかした副題を従えた「華氏四五一度」。
名作中の名作といって過言でない、すばらしい作品であった。
そこは本を焼いて回る焚書官が活躍する世界で、
書籍を所有するインテリたちは排撃され屋根裏に隠された書物は
家ごと焼き払われる。内省はいらない、記憶はいらない、思い悩むことは何もない。
その代わりに人々は、一日中テレビと会話し意味もなく笑うのだが。

焚書官の仕事について所長のビーティはこう語る。

「おれたちの文明社会が、これだけ巨大なものに発達したために、かえって少数派を蠢動さすわけにいかなくなったのだ。きみ自身、その胸にきいてみるがいい。おれたちが欲しているものはなにかとな。幸福にくらすということだけだろう。・・・
・・・平穏無事が幸福の要領だよ、モンターグ。平和こそ人生なんだ、モンターグ。内心との戦いはぜったい禁物。争いごとは、外へむけろ。できれば、焼却炉へ投げこむことだ。・・・みんな忘れ去ってしまうこと。なにもかも焼いてしまうこと。あらゆるものを焼くことだ。火はあかるく、きれいにかがやいているんだぜ。」

芸術は娯楽である。芸術は生活必需品ではない。
可処分所得の多い富裕層が嗜好する贅沢品である。

先日も書いたがそういう言葉で逃げないことだ。
現実にある矮小な私という存在から目を逸らさないことだ。
諦めず語り続けることだ。――― 人によって様々なその方法で。

生活する私たちを勇気付けるプロジェクトがはじまる。
空間に鋭く切り込んでゆく絵画はその俊足で多くの人を魅了するだろう。

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