2009年11月29日日曜日

消えない花火

岩井俊二の映画が観たくなって
打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を
TSUTAYAでレンタル。

50分間のごく短い映像のなかに幼い頃の自分が濃密に溶け出していて、
冬本番を迎えようとするいまにこそあえて、
幼い彼らの小麦色の肌や前歯の欠けた笑顔を観るというのも、
遠ざかっていく記憶の熱といまここに無理をして造り上げた青春の儚さが
よりリアルに感じられてよかったと思う。
そのなかで少女の美しさは格別だった。
おそらくと思っていたが、確かに十五年以上前の奥菜恵だった。
人間劣化していくものだなあと思う。
十代の半ばで美しさの頂点を極め、
あとは転がり落ちていくだけのものであるとすれば、
余りに年老いてからの人生は長すぎるように思う。

なんだか少女趣味に聞こえてくるが実際は全然違う・・・。
これはただの感傷です(キッパリ)。

何の話だっけ。

この映画の主題は実にわかりやすいので敢えて書く気もおきなくて
ホースで水をかけたり、浴衣の裾がはだけたりする奥菜恵の映像が
よみがえってきたのだった。
打ち上げ花火と夏祭り、それらはあまりに恋に似合いすぎる。
東京のそれはあまりに人が多すぎて疲れる以外にないが。
そういえば昔、僕と、僕が好きだった女の子と、その女の子が好きな男と、
三人で花火を見に行った夏があった。その男は僕にとって親友だった。
アレは一体なんだったんだろう。
楽しんだはずだという確信だけが宙に浮いてある。

だから一体何の話を・・・。

この映画は、幼き日々の不可解な記憶へと観る者を誘う。
よくわからないことがたくさんあった。
楽しいこともたくさんあった。
それらを経過して、いまの自分がいると思う。
けれどそのころともに笑った友達はいま一体なのをしているのか知らないし、
そのころ好きだった女の子にもいまや微塵の関心もない。
当時のわけのわからないことの数々はいったいなんだったのだろう。
いまになって考えてみれば、花火をどこから眺めたとしても・・・と同じように。
なのに私の心に夜が訪れたらときには今でも
大輪の花となり、轟音と熱気のなかで狂おしく咲いているのだ。

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