気が急く。ここ2週間ほどはイベントが重なっていて、
決済を仰ぎ、判断を乞い、自分の仕事を自分でチェックしながら、
としていると、思うように進まないが、進まないと言っていられない
状況にあってそれで気持ちばかりが先行する。
金曜日は久しぶりに朝五時まで飲んだ。
西麻布の会員制のクラブみたいなところに連れて行ってもらって、
素人っぽい女の子たちが入れ替わり立ち代りしていて落ち着かない中、
酒を飲む。そういうところの酒がうまいということは(これまでの経験では)
決してなくて、ウーロンハイやジンロの水割りを飲まされるのには辟易する。
といってああいう雰囲気で高級なシャンパンを空けようという
気にもなれないのは貧乏根性だろうか。
お店の店員に自分の酒をがぶがぶ飲まれるのは、訳のわからぬシステムだ。
相手が素面だと思うと話す気も失せるという気持ちはわからぬでもないが。
三時に六本木に移動した。あの街もその時刻になると特有のけばけばしさ、
派手さが抜けて、素顔を垣間見せる。そのギャップに少し和んだ。
それは疲れと同義かもしれないといまは思い返す。
こうやって遊んでいることと気が急くことは矛盾しない。
規則正しい生活をしていてそれで済むなら余裕が生まれる。
朝五時までとなると、ほとんど丸一日飲んでいる。
次の日から、家事をしたり仕事をしたり映画を観たりと
しようとすると、時間に追い立てられる。
花粉症は焦燥感を助長している。
ゆっくりと飯を食う気持ちは萎え、本を読む気も散漫とする。
あと一、二週間は、流れに身を任せるしかない。
みんなそういうときにどうしているのだろう。
流れから逸れることはできない相談であるから、
行動レベルでは他に選択肢がないわけだが。
2009年2月23日月曜日
2009年2月18日水曜日
今の私にとっては
ただいま。
今日も疲れまひたね。
何度観ても、ジーンと来るものがあるね ↓
これを観て、中川大臣に対して、
憤慨することも罵倒することも冷笑することも、
同様に、同情することも擁護することもできるだろうし、
あるいは日本という国に対し、
嘆くことも哀れむことも、
奮起することも見捨てることもできようが、
いずれの立場についてもこの場で評価するつもりはなくてですよ。
彼のこの惨状に自らを重ね合わせた時に(それだ!)
他人事のようには思えなく、引き付けられる。
それだけはやっちゃいかんだろうという、
(たとえどのような理由があったにせよですよ!)
戒めとも、啓示とも取れる、魔術的な誘惑に違いない。
狂気であり、呪縛であり、だからこそ、
良くなろうと思えど、悪しく堕ちようと思えど、
それがひとつの真理であるような永劫回帰!
予期された惨状へと逢着する、
島尾敏雄の描いた「死の棘」のようである。
怖い怖い。お酒はほどほどに。
今日も疲れまひたね。
何度観ても、ジーンと来るものがあるね ↓
これを観て、中川大臣に対して、
憤慨することも罵倒することも冷笑することも、
同様に、同情することも擁護することもできるだろうし、
あるいは日本という国に対し、
嘆くことも哀れむことも、
奮起することも見捨てることもできようが、
いずれの立場についてもこの場で評価するつもりはなくてですよ。
彼のこの惨状に自らを重ね合わせた時に(それだ!)
他人事のようには思えなく、引き付けられる。
それだけはやっちゃいかんだろうという、
(たとえどのような理由があったにせよですよ!)
戒めとも、啓示とも取れる、魔術的な誘惑に違いない。
狂気であり、呪縛であり、だからこそ、
良くなろうと思えど、悪しく堕ちようと思えど、
それがひとつの真理であるような永劫回帰!
予期された惨状へと逢着する、
島尾敏雄の描いた「死の棘」のようである。
怖い怖い。お酒はほどほどに。
2009年2月16日月曜日
ユーモア
風邪を引いたようでもないがくしゃみが出る。
コンタクトが合わないわけでもないだろうが、目が痒い。
と言葉で書いたのをみると、完全に花粉症じゃないか。
僕は認めない! 花粉症だなんて真っ平だ! 金比羅だ! 金平だ!
随分前に勧めてもらっていた映画「カッコーの巣の上で」を見る。
1975年の作品で、主演はジャック・ニコルソン。
感想を簡潔に述べるのは難しい。
行き場のないリフレインは映画の終局に、突然のアクシデントを迎え止む。
それは映画を終えるためだけに用意されたような仕掛けにも
見えるし、初めからそれ以外にありえなかった末路へと向かう道を、
右往左往していただけのようにも見える。
見事な演技の中で鳴る悲しげなリズムはストーリーとは無縁に
常に胸を打ち続ける。
時々挿入されるユーモアは、場を和ませる、幕の間の箸休めではなく、
むしろユーモアこそがこの映画の本筋ではなかったかと思う。
ユーモアとは何だろうか。これまで考えたことはなかった。
コンタクトが合わないわけでもないだろうが、目が痒い。
と言葉で書いたのをみると、完全に花粉症じゃないか。
僕は認めない! 花粉症だなんて真っ平だ! 金比羅だ! 金平だ!
随分前に勧めてもらっていた映画「カッコーの巣の上で」を見る。
1975年の作品で、主演はジャック・ニコルソン。
感想を簡潔に述べるのは難しい。
行き場のないリフレインは映画の終局に、突然のアクシデントを迎え止む。
それは映画を終えるためだけに用意されたような仕掛けにも
見えるし、初めからそれ以外にありえなかった末路へと向かう道を、
右往左往していただけのようにも見える。
見事な演技の中で鳴る悲しげなリズムはストーリーとは無縁に
常に胸を打ち続ける。
時々挿入されるユーモアは、場を和ませる、幕の間の箸休めではなく、
むしろユーモアこそがこの映画の本筋ではなかったかと思う。
ユーモアとは何だろうか。これまで考えたことはなかった。
2009年2月14日土曜日
腐臭
昨日は二十時から三時半まで飲み続けていた。
一時を過ぎたあたりから二日酔いに似た頭痛が既にあって、
それでも飲み続けていたのは、常軌を逸している。
二日酔いの日を後悔で黒く染めない日はないが、
それとは対照的な春の陽気だった。
ふらふらと先日紹介した爺さん四人の定食屋・一富士へ。
夜の時間帯とは、メンバーに若干の入れ替りはあるが、
爺さんばかりなのは変わらない。
頑固一徹そうな料理長の爺さんがサポートの爺さんに檄を飛ばす。
皿洗いの爺さんは、くわえ煙草だ。
料理を一通り出し終えた料理長の爺さんも、すぐに煙草に火をつけた。
スタミナ定食、720円。米が僕には柔らかいが旨し。
紹介しても誰もいかないだろうが・・そこはかとなくこの佇まいもいい。

村上龍の『半島を出よ』を読了。
相変わらずの筆力に、いまの日本の作家で彼に適う者はいない
と改めて思う。
どう表現すると、ここで僕が筆力と言うところのものを
了解してもらえるだろうか。
美しいというのでもないし、単純に良い、と言っているのでもない。
それは文章の密度と言ってもよいが、より適切には粘度というべきだろうか。
あるいは比喩的に述べたほうがわかりやすくて、
子供の頃、腹をすかせて帰宅したときに、それがカレーライスでもステーキでも、
がむしゃらに食べた。咽喉を曖昧に噛み砕かれた食材が通過して、
空っぽの胃袋の海に勢いよく流れ込む。その感覚に似ている。
となると、筆力と言ったところを文章から受動的に受けとる何かだと
すると意味が成り立たなくて、読み手の能動性に支えられて
文章は、筆力を持つと言うことになる。
それに加えて、どろりと体内に蓄積していくような異物感があり、
拒絶したいという気持ちと、消化して一体化したいという気持ちが
同時に起こる。
ただ「半島を出よ」に限って言えば、説明的過ぎるように感じた。
テロリスト、戦争を村上龍はこれまでにもよく題材としてきたが、
独白とも描写ともつかない表現で描かれる、主観と客観がない交ぜになった、
幻想的現実が織り成す世界の描写は圧巻だった。
(戦闘シーンの張り詰めた緊張の中で臨界点に達した。)
SF的というより歴史小説に近いように感じた。
下調べに膨大な時間を費やしたことだろう。
それでもイシハラの言葉は強烈だったし、
冒頭の失業者のテントの描写もよかった。
しかし、初めから行き場のない物語を書き始めてしまったような諦念が、
亡霊のように常に付きまとい、行間に微かな腐臭を放っていた。
一時を過ぎたあたりから二日酔いに似た頭痛が既にあって、
それでも飲み続けていたのは、常軌を逸している。
二日酔いの日を後悔で黒く染めない日はないが、
それとは対照的な春の陽気だった。
ふらふらと先日紹介した爺さん四人の定食屋・一富士へ。
夜の時間帯とは、メンバーに若干の入れ替りはあるが、
爺さんばかりなのは変わらない。
頑固一徹そうな料理長の爺さんがサポートの爺さんに檄を飛ばす。
皿洗いの爺さんは、くわえ煙草だ。
料理を一通り出し終えた料理長の爺さんも、すぐに煙草に火をつけた。
スタミナ定食、720円。米が僕には柔らかいが旨し。
紹介しても誰もいかないだろうが・・そこはかとなくこの佇まいもいい。

村上龍の『半島を出よ』を読了。
相変わらずの筆力に、いまの日本の作家で彼に適う者はいない
と改めて思う。
どう表現すると、ここで僕が筆力と言うところのものを
了解してもらえるだろうか。
美しいというのでもないし、単純に良い、と言っているのでもない。
それは文章の密度と言ってもよいが、より適切には粘度というべきだろうか。
あるいは比喩的に述べたほうがわかりやすくて、
子供の頃、腹をすかせて帰宅したときに、それがカレーライスでもステーキでも、
がむしゃらに食べた。咽喉を曖昧に噛み砕かれた食材が通過して、
空っぽの胃袋の海に勢いよく流れ込む。その感覚に似ている。
となると、筆力と言ったところを文章から受動的に受けとる何かだと
すると意味が成り立たなくて、読み手の能動性に支えられて
文章は、筆力を持つと言うことになる。
それに加えて、どろりと体内に蓄積していくような異物感があり、
拒絶したいという気持ちと、消化して一体化したいという気持ちが
同時に起こる。
ただ「半島を出よ」に限って言えば、説明的過ぎるように感じた。
テロリスト、戦争を村上龍はこれまでにもよく題材としてきたが、
独白とも描写ともつかない表現で描かれる、主観と客観がない交ぜになった、
幻想的現実が織り成す世界の描写は圧巻だった。
(戦闘シーンの張り詰めた緊張の中で臨界点に達した。)
SF的というより歴史小説に近いように感じた。
下調べに膨大な時間を費やしたことだろう。
それでもイシハラの言葉は強烈だったし、
冒頭の失業者のテントの描写もよかった。
しかし、初めから行き場のない物語を書き始めてしまったような諦念が、
亡霊のように常に付きまとい、行間に微かな腐臭を放っていた。
2009年2月11日水曜日
ラヴレター
昨日は恵比寿でしこたまワイン飲む。
帰り際にバーに寄ってバーボン飲んだのがいけなかったのか、
若干酔いが残った。せっかくの祝日なのに、心拍数高めで
ひより気味に一日を終えた。
近所にいい定食屋を見つけた。お袋の味どころか、
七十歳くらいの爺さん四人で営まれている。
しばらく足しげく通うことになりそうだ。
* * *
昨日話したことを加筆してメモ的に残す。
作品と作家の関係性について、作家は過信すべきではないと思う。
作家の主体性はについては、「リアルのゆくえ」をネタに以前少し書いた。
その話と関連することとして、『世界に主体的に関わる自己の単独性を巡る神話性』
を作品に込めようとすると、作家としての単独性が、作品の中に本源的に回収されて
しまうことになって、それは作家の単独性を一般論化、つまり、ある規定された範囲
の中での事実として留めることになって、作家としての運動、飛躍、破壊、創造の力
を失わしめることに繋がる。
作家は作品に対し責任を負うべきである。
そのことを疑うわけではない。
しかし、作品を個人的な体験として、作家自身が語ってしまうことは、
作品の社会性を否定してしまうことにもなるし、そうすると、
作品を受け取る側の立場は極めて怪しいものになって、
受け手は、ひとつには、無関心の闇の中に放りこむか、もうひとつには、
必然性を論理的に語ることで所与のものとして受け止めるか。
それ以外になくなる。
作家と受け手(あるいは評者)は、対等ではない。
かつ、作家は作品に対し特権的な立場にある。
しかし、そのことを過信して作品の枠内に自身を収めようとするのではなく、
作品の運動性に自覚的でいることは、実践としての創作活動を
豊かにしてくれると思う。
というようなことは、小説や音楽、絵画といった作家自身で
創作活動が完結するものであれば理解しやすい。
一方で商業デザインであったり、建築であったり、
というような経済的社会的制約条件の網の目の中で、
なおかつ外部の人々と共同して作り上げるようなものでは、
そもそもの作家の主体性が曖昧なものにならざるを得ない
危機感があって、それで作家はなるべく特権的な立場に
留まろうとして、先に述べた過信を引き受けたくなる。
と長くなってきたのでまとめる。
結局何が言いたいのかというと、
死んで伝説なるよりも前に、生きて運動を先取することを目指したい。
運動としての創作活動は、作家の徒死的な勇気と、作品の闇雲な射撃とで
成立するという意味で、ゲリラ的であるべきだ、ということだ。
運動のベクトルと個人的な体験の蓄積による必然性が
ぴたりと一致する必要はないし、そも不可能にすら思える。
公共性と固有性を巡る作家の苦悩が、少しでも和らげばいい。
帰り際にバーに寄ってバーボン飲んだのがいけなかったのか、
若干酔いが残った。せっかくの祝日なのに、心拍数高めで
ひより気味に一日を終えた。
近所にいい定食屋を見つけた。お袋の味どころか、
七十歳くらいの爺さん四人で営まれている。
しばらく足しげく通うことになりそうだ。
* * *
昨日話したことを加筆してメモ的に残す。
作品と作家の関係性について、作家は過信すべきではないと思う。
作家の主体性はについては、「リアルのゆくえ」をネタに以前少し書いた。
その話と関連することとして、『世界に主体的に関わる自己の単独性を巡る神話性』
を作品に込めようとすると、作家としての単独性が、作品の中に本源的に回収されて
しまうことになって、それは作家の単独性を一般論化、つまり、ある規定された範囲
の中での事実として留めることになって、作家としての運動、飛躍、破壊、創造の力
を失わしめることに繋がる。
作家は作品に対し責任を負うべきである。
そのことを疑うわけではない。
しかし、作品を個人的な体験として、作家自身が語ってしまうことは、
作品の社会性を否定してしまうことにもなるし、そうすると、
作品を受け取る側の立場は極めて怪しいものになって、
受け手は、ひとつには、無関心の闇の中に放りこむか、もうひとつには、
必然性を論理的に語ることで所与のものとして受け止めるか。
それ以外になくなる。
作家と受け手(あるいは評者)は、対等ではない。
かつ、作家は作品に対し特権的な立場にある。
しかし、そのことを過信して作品の枠内に自身を収めようとするのではなく、
作品の運動性に自覚的でいることは、実践としての創作活動を
豊かにしてくれると思う。
というようなことは、小説や音楽、絵画といった作家自身で
創作活動が完結するものであれば理解しやすい。
一方で商業デザインであったり、建築であったり、
というような経済的社会的制約条件の網の目の中で、
なおかつ外部の人々と共同して作り上げるようなものでは、
そもそもの作家の主体性が曖昧なものにならざるを得ない
危機感があって、それで作家はなるべく特権的な立場に
留まろうとして、先に述べた過信を引き受けたくなる。
と長くなってきたのでまとめる。
結局何が言いたいのかというと、
死んで伝説なるよりも前に、生きて運動を先取することを目指したい。
運動としての創作活動は、作家の徒死的な勇気と、作品の闇雲な射撃とで
成立するという意味で、ゲリラ的であるべきだ、ということだ。
運動のベクトルと個人的な体験の蓄積による必然性が
ぴたりと一致する必要はないし、そも不可能にすら思える。
公共性と固有性を巡る作家の苦悩が、少しでも和らげばいい。
2009年2月8日日曜日
Something happened
昨日は久しぶりにエムピウの村上さんところへ
遊びに行く。相変わらず飄々としていらっしゃる。
兄貴の一級建築士合格祝いと、妹の就職祝いを購入。
その後、表参道の何やらパーティへ。
200名近く集まっていて、石を投げれば社長に当たる
という感じだったが、それでどうということもなく
不完全燃焼の濡れた線香のような心持で帰る。
シェリーがうまい。
スーパーや酒屋では、TIOPEPE 以外
なかなかお目にかかることはないが、
TIOPEPE がうまいからそれで足りる。
冷蔵庫で冷やしてオン・ザ・ロックで飲んでください。
シェリーは大別してフィノとオロロソと種類があって、
TIOPEPEはフィノのほうである。
オロロソと呼ばれる琥珀色のシェリーはアルコール度数が高めで
何とも豊饒な感じがする。
と、酒の話になった。
先週の金曜日、絶品にうまいという黒糖焼酎を教えてもらって
現在お取り寄せ中である。ふふふ、楽しみ。
最後にダメ押しのように付け加えておくと、
発泡酒では、韓国製の「バーゲンブロー」が激安でしかも旨い。
# 以前ブログで書いた気もするが・・

なんと一缶 100円。
見つけたらだまされてもいいやと思って買ってみて欲しい。
なんかネットでは評価が割れているみたい。
なんか文章ぐだぐだ(了)
遊びに行く。相変わらず飄々としていらっしゃる。
兄貴の一級建築士合格祝いと、妹の就職祝いを購入。
その後、表参道の何やらパーティへ。
200名近く集まっていて、石を投げれば社長に当たる
という感じだったが、それでどうということもなく
不完全燃焼の濡れた線香のような心持で帰る。
シェリーがうまい。
スーパーや酒屋では、TIOPEPE 以外
なかなかお目にかかることはないが、
TIOPEPE がうまいからそれで足りる。
冷蔵庫で冷やしてオン・ザ・ロックで飲んでください。
シェリーは大別してフィノとオロロソと種類があって、
TIOPEPEはフィノのほうである。
オロロソと呼ばれる琥珀色のシェリーはアルコール度数が高めで
何とも豊饒な感じがする。
と、酒の話になった。
先週の金曜日、絶品にうまいという黒糖焼酎を教えてもらって
現在お取り寄せ中である。ふふふ、楽しみ。
最後にダメ押しのように付け加えておくと、
発泡酒では、韓国製の「バーゲンブロー」が激安でしかも旨い。
# 以前ブログで書いた気もするが・・

なんと一缶 100円。
見つけたらだまされてもいいやと思って買ってみて欲しい。
なんかネットでは評価が割れているみたい。
なんか文章ぐだぐだ(了)
2009年2月5日木曜日
無線ブロードバンド徒然
無線ブロードバンド「ワイヤレスゲート」を
契約したのだが、今のところ利用できるのは、
・マクドナルド
・ルノアール(喫茶店)
・地下鉄駅構内
というのがメインで、おかげで今も、
22時だっていうのに、
夕飯にダブルチーズバーガーセットを食うことになった。
(他にも成田空港で使えるらしいがそれがどうした。)
全国6000か所で使える! という宣伝文句だったが、
日本マクドナルドは、約3,800店舗ある。
月額380円だから、まあ、要求を高くしても詮無いがねえ・・・
しっかし、クォーターパウンダーを食う気になれない。
値段は普通のバーガーとさして変わらない。
ロッテリアの絶品チーズバーガーはうまかった。
モスのとびきりハンバーグサンドもうまいらしい。
北島康介 は好きだがねえ・・・。
地下鉄駅構内は、「無線ブロードバンドが使えます」
というサインはあっても、ベンチはない。うーん。
ポータブルゲームぐらいが有用かねえ。
それでも駅構内で歩きながらゲームするでもないだろうに。
(電車の中は圏外だ。)
livedoor Wirelessってのがあって、
街中で使えるような事が書いているが気付くかねえ・・。
(なぜか単品では月額500円。)
早い話、マックのセットメニューに、塩鯖定食を加えてくれると良いのですがねえ・・。
契約したのだが、今のところ利用できるのは、
・マクドナルド
・ルノアール(喫茶店)
・地下鉄駅構内
というのがメインで、おかげで今も、
22時だっていうのに、
夕飯にダブルチーズバーガーセットを食うことになった。
(他にも成田空港で使えるらしいがそれがどうした。)
全国6000か所で使える! という宣伝文句だったが、
日本マクドナルドは、約3,800店舗ある。
月額380円だから、まあ、要求を高くしても詮無いがねえ・・・
しっかし、クォーターパウンダーを食う気になれない。
値段は普通のバーガーとさして変わらない。
ロッテリアの絶品チーズバーガーはうまかった。
モスのとびきりハンバーグサンドもうまいらしい。
北島康介 は好きだがねえ・・・。
地下鉄駅構内は、「無線ブロードバンドが使えます」
というサインはあっても、ベンチはない。うーん。
ポータブルゲームぐらいが有用かねえ。
それでも駅構内で歩きながらゲームするでもないだろうに。
(電車の中は圏外だ。)
livedoor Wirelessってのがあって、
街中で使えるような事が書いているが気付くかねえ・・。
(なぜか単品では月額500円。)
早い話、マックのセットメニューに、塩鯖定食を加えてくれると良いのですがねえ・・。
2009年2月4日水曜日
ライフハック的な
・睡眠時間が足りないと思う
・部屋が妙に寒い
・ふと不安になることがある
・風邪をひきそうな気がする
・寝酒が深くなりがち
というような方に、ぜひお薦めしたい商品です ↓
http://www.rakuten.co.jp/salala/657039/
・部屋が妙に寒い
・ふと不安になることがある
・風邪をひきそうな気がする
・寝酒が深くなりがち
というような方に、ぜひお薦めしたい商品です ↓
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2009年2月1日日曜日
ぐずぐず
昨日はLEGOをつくって遊ぶ。
人工衛星「いぶき」のイメージが残っていて、
宇宙船をつくろうと思う。
結果、できあがりましたもの。
LEGO CUUSOO にアップしてあるので投票してくれ!
舞台設定が何となく気に入っている。
コミカルで切ない、SF短編が書けそうだ。
LEGOで遊んだあと、師匠を交え半蔵門飲み。
セレブな雰囲気がそこはかとなく漂う番町界隈に
サラリーマンが集まる飲み屋が唐突にあって、
料理も無難に旨く、泡盛頼んだらグラスになみなみと注がれてきた。
軽く師匠にお付き合いいただくつもりが、しっかりと飲んでしまった。
ハワイに行かなくちゃいけなくなった。
今年は沖縄とイリノイとハワイにいかなくちゃ。
* * *
ヴィレッジヴァンガードにふらり立ち寄って、
久しぶりに漫画を買う。

「世界の終わりと夜明け前」
漫画で短編集ってのもよいものだなあ。
これを読んでどうということもないのかもしれない。
けれど、描かれる街の風景や人の表情、
絵にすることによって具現化する何かがある。
小説を読むのとは違う性質の感覚が体内に残る。
ぐずぐず。
人工衛星「いぶき」のイメージが残っていて、
宇宙船をつくろうと思う。
結果、できあがりましたもの。
LEGO CUUSOO にアップしてあるので投票してくれ!
舞台設定が何となく気に入っている。
コミカルで切ない、SF短編が書けそうだ。
LEGOで遊んだあと、師匠を交え半蔵門飲み。
セレブな雰囲気がそこはかとなく漂う番町界隈に
サラリーマンが集まる飲み屋が唐突にあって、
料理も無難に旨く、泡盛頼んだらグラスになみなみと注がれてきた。
軽く師匠にお付き合いいただくつもりが、しっかりと飲んでしまった。
ハワイに行かなくちゃいけなくなった。
今年は沖縄とイリノイとハワイにいかなくちゃ。
* * *
ヴィレッジヴァンガードにふらり立ち寄って、
久しぶりに漫画を買う。

「世界の終わりと夜明け前」
漫画で短編集ってのもよいものだなあ。
これを読んでどうということもないのかもしれない。
けれど、描かれる街の風景や人の表情、
絵にすることによって具現化する何かがある。
小説を読むのとは違う性質の感覚が体内に残る。
ぐずぐず。
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