一時を過ぎたあたりから二日酔いに似た頭痛が既にあって、
それでも飲み続けていたのは、常軌を逸している。
二日酔いの日を後悔で黒く染めない日はないが、
それとは対照的な春の陽気だった。
ふらふらと先日紹介した爺さん四人の定食屋・一富士へ。
夜の時間帯とは、メンバーに若干の入れ替りはあるが、
爺さんばかりなのは変わらない。
頑固一徹そうな料理長の爺さんがサポートの爺さんに檄を飛ばす。
皿洗いの爺さんは、くわえ煙草だ。
料理を一通り出し終えた料理長の爺さんも、すぐに煙草に火をつけた。
スタミナ定食、720円。米が僕には柔らかいが旨し。
紹介しても誰もいかないだろうが・・そこはかとなくこの佇まいもいい。

村上龍の『半島を出よ』を読了。
相変わらずの筆力に、いまの日本の作家で彼に適う者はいない
と改めて思う。
どう表現すると、ここで僕が筆力と言うところのものを
了解してもらえるだろうか。
美しいというのでもないし、単純に良い、と言っているのでもない。
それは文章の密度と言ってもよいが、より適切には粘度というべきだろうか。
あるいは比喩的に述べたほうがわかりやすくて、
子供の頃、腹をすかせて帰宅したときに、それがカレーライスでもステーキでも、
がむしゃらに食べた。咽喉を曖昧に噛み砕かれた食材が通過して、
空っぽの胃袋の海に勢いよく流れ込む。その感覚に似ている。
となると、筆力と言ったところを文章から受動的に受けとる何かだと
すると意味が成り立たなくて、読み手の能動性に支えられて
文章は、筆力を持つと言うことになる。
それに加えて、どろりと体内に蓄積していくような異物感があり、
拒絶したいという気持ちと、消化して一体化したいという気持ちが
同時に起こる。
ただ「半島を出よ」に限って言えば、説明的過ぎるように感じた。
テロリスト、戦争を村上龍はこれまでにもよく題材としてきたが、
独白とも描写ともつかない表現で描かれる、主観と客観がない交ぜになった、
幻想的現実が織り成す世界の描写は圧巻だった。
(戦闘シーンの張り詰めた緊張の中で臨界点に達した。)
SF的というより歴史小説に近いように感じた。
下調べに膨大な時間を費やしたことだろう。
それでもイシハラの言葉は強烈だったし、
冒頭の失業者のテントの描写もよかった。
しかし、初めから行き場のない物語を書き始めてしまったような諦念が、
亡霊のように常に付きまとい、行間に微かな腐臭を放っていた。

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