2009年2月14日土曜日

腐臭

昨日は二十時から三時半まで飲み続けていた。
一時を過ぎたあたりから二日酔いに似た頭痛が既にあって、
それでも飲み続けていたのは、常軌を逸している。
二日酔いの日を後悔で黒く染めない日はないが、
それとは対照的な春の陽気だった。

ふらふらと先日紹介した爺さん四人の定食屋・一富士へ。
夜の時間帯とは、メンバーに若干の入れ替りはあるが、
爺さんばかりなのは変わらない。
頑固一徹そうな料理長の爺さんがサポートの爺さんに檄を飛ばす。
皿洗いの爺さんは、くわえ煙草だ。
料理を一通り出し終えた料理長の爺さんも、すぐに煙草に火をつけた。
スタミナ定食、720円。米が僕には柔らかいが旨し。
紹介しても誰もいかないだろうが・・そこはかとなくこの佇まいもいい。



村上龍の『半島を出よ』を読了。

相変わらずの筆力に、いまの日本の作家で彼に適う者はいない
と改めて思う。
どう表現すると、ここで僕が筆力と言うところのものを
了解してもらえるだろうか。
美しいというのでもないし、単純に良い、と言っているのでもない。
それは文章の密度と言ってもよいが、より適切には粘度というべきだろうか。
あるいは比喩的に述べたほうがわかりやすくて、
子供の頃、腹をすかせて帰宅したときに、それがカレーライスでもステーキでも、
がむしゃらに食べた。咽喉を曖昧に噛み砕かれた食材が通過して、
空っぽの胃袋の海に勢いよく流れ込む。その感覚に似ている。

となると、筆力と言ったところを文章から受動的に受けとる何かだと
すると意味が成り立たなくて、読み手の能動性に支えられて
文章は、筆力を持つと言うことになる。
それに加えて、どろりと体内に蓄積していくような異物感があり、
拒絶したいという気持ちと、消化して一体化したいという気持ちが
同時に起こる。

ただ「半島を出よ」に限って言えば、説明的過ぎるように感じた。
テロリスト、戦争を村上龍はこれまでにもよく題材としてきたが、
独白とも描写ともつかない表現で描かれる、主観と客観がない交ぜになった、
幻想的現実が織り成す世界の描写は圧巻だった。
(戦闘シーンの張り詰めた緊張の中で臨界点に達した。)

SF的というより歴史小説に近いように感じた。
下調べに膨大な時間を費やしたことだろう。

それでもイシハラの言葉は強烈だったし、
冒頭の失業者のテントの描写もよかった。

しかし、初めから行き場のない物語を書き始めてしまったような諦念が、
亡霊のように常に付きまとい、行間に微かな腐臭を放っていた。

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