2009年10月29日木曜日

ポッポ


鳩山由紀夫のホームページ
をみられよ。

なんか変なのが混じっているぞ・・。

No.7 とか、No.13 も・・。No.17・・?

こんなだからポッポって言われるんだよ。
だいたいなんで赤鼻なんだよ。ほろ酔いか。中川か。
作者誰だよ。

営業だ。みんなWEB制作営業をかけよう。
与党になって民主党も金があるだろう。
政治もWEBの時代だ。
オバマ大統領
 のWEBサイトすごいじゃないか。
オンラインで寄付金集めだ。
OBAMA EVERYWHERE だ。twitter なんかあたりまえだ。
MySpace も LinkedIn も Gleeも?
Gay,Lesbian and Everyone Else ・・・いいんだ。自由の国アメリカだ。

ポッポもEvery Whereだ。mixi に、ニコ動に、モバゲーに、なんだほら、
CookPad でつくれぽ公開だ。

* *

最近節約しようと思って、今日はでもワインが飲みたくて、
一本389円という驚きの赤ワイン(スペイン生まれ)を飲む。
苦味があってやはりちょっと何たるかという感じだが、
飲みすすめるとこれも慣れてくるもので、
果たして2000円のワインの20%の値打ちしかないかというと、
そうでもない気がしていや、発泡酒よりもコストパフォーマンスが
いい気がしてきてああなんというか癖になるようなならないような。

そんな夜もあった。なくてもよかった。

2009年10月25日日曜日

スワロウテイル

土日だけ、たまに料理をつくる。
あくまで自分で食べるだけのものだから、
たいした手間をかけるわけではないが、
よく言われるように買い物から調理、片付けまでを含む
食事の一連の支度と、またそれを味わうというシーンのなかで
脳は非常にプリミティブな領野において活動しており、
それが心地よくもあるのだった。



こちらは獅子唐と茄子の炒め煮でこれが実に旨い。
油揚が入っているがこれもまたよい選択だった。



手羽先はまあどうでもよくて脇にあるアボガドサラダ。
うーん、華がある。



これは豚の生姜焼き。写真がちょっとまずいが。
生姜焼きなんぞただ炒めるだけだが、
生姜を買うのは多分初めてだったし、
それをおろして、という行為に実は経験の中心がある。
そしてこういう単純なのは失敗しない。うまい。


何となく岩井俊二「スワロウテイル」を手にとった。
彼の映画が好きで、「リリィ・シュシュのすべて」は原作も読んでいる。
もう何年も前のことだ。
映画の詳細を憶えてはいないけれど、
映画「スワロウテイル」を想い出して浮かぶ感覚は、
さしてうまくもまずくもないないが自作の料理と
それを囲む仲間たちとがあって、そういうなかで
自覚的に強く保たれる幸福感である。

湯気のたちのぼるテントに向かい歩いてゆくと
身体の芯に伝わりくる温もりにつつまれて
それで自分の居場所であるということがわかる。
原作を読みながらまた彼の映画を観たいと思った。
Chara のことが印象的に思い出される。

2009年10月18日日曜日

無気力

久しぶりに本の紹介。

最近、現代の外国文学が気になる。
とはいえ寡聞にして何から読めばいいのかよくわからない。

マルグリット・デュラス「愛人(ラマン)
ジャン=フィリップ・トゥーサン「浴室

の二冊読む。

前者は1984年の作品だがデュラス1914年の生まれだから
それほど新しいというのでもない、トゥーサンはまだ存命である。

「愛人」は力強い筆致と幻想的な描写の印象的だが
内容についてはわかったようなわからぬような、ただ、
女心を書いているといえばわからなくて当然と逃げることもできるか。

引用して済ませる。

「男は自分の娘でも抱くようにして、この娘を抱く。自分の娘ならこれと同じようにして抱くだろう。自分の娘の身体と戯れる。(略)と、突然、娘は男にせがむ、何をとは言わない、すると男は、黙れ、と娘にどなる、もう欲しくないんだ、もうおまえを楽しみたくないんだ、とどなる、とたちまちふたりはまたもたがいにしがみつき、激しい不安のうちにふたりだけのなかに閉じこもる、そしてたちまち、この激しい不安はまたもほどけ、ふたりはまたもそれに屈服して、涙のなかへ、絶望のなかへ、幸福のなかへ落ちてゆく。」

後者は、多分に実験的な臭いのする短編だった。
なかなかよい。もう少し彼の作品を読んでみようと思う。



しっかり感想を書こうという気力がない。

2009年10月13日火曜日

MS orz




(;´Д`) ?ハィ?

2009年10月10日土曜日

生命はあくまで未来に飛翔する

マジックアワーについて殴り書きの原稿? が手元にあるし
書いておきたい気もするが、、
久しぶりにレンタルして観た「BOY A」について
今日は、書いておこうと思う。

簡単にあらすじを記しておくと、
十歳で少女を殺害し当時「悪魔」と呼ばれた少年が出所し、
全く新しい人物「ジャック」として社会に復帰しようとする。
友達ができ、恋人ができ、歳相応の青春を取り戻したかのようにみえる。
しかし、あるとき彼がその「悪魔」であった過去が明らかになり・・・。
という展開である。

過去はなぜかくも重いのだろうか。

先日、テレビを観ていて思わず涙したことがあった。
(嘲笑うように泣かせることに固執するテレビの演出があざといとはいえ。)
幼くして病に侵された少年は痛む身体をして、絵を描く。
その絵は、あまりに生命力に溢れていて輝いていた。
がんばれというやつは口だけだから嫌いだといった。
病に負けないというのはただ生き続けることではなく、
死ぬそのときまで辛苦に耐え、そして愛し愛された家族と共に、
幸福であり続けることだと、彼は知っていたのだった。
彼の絵に勇気付けられた人々を集め彼の個展が死後に開会された折、
彼の母親は言った。
「彼が生きていたいと望んでいた明日、それが私たちの今日です。」

彼にとって病に苦しんだ過去、死んでしまった過去は大きな意味を持つまい。
彼の生命はあくまで未来に飛翔している。


過去はたしかに重い。
一度のあやまちによって、一切の信用を失う。
どれだけ言葉を尽くしても心の底で信じていない人の疑心を変えるのは難しい。
報いようにも、愛を示そうにも、閉ざされた扉の前で無残に腐る。
人と社会がそうなら、人と人もそうだ。
その膠着した関係を解消するのが死をもっての償いしかないのだとすれば、
過去によって死が不可避となるのだとすれば、未来とは何だろうか。
未来はあまりに弱い。

この映画は、スケープゴートになり得る、共謀の少年の存在が
しごく軽率に登場するのが無神経な印象を残してしまうが、
過去にひねり潰される現在と取りざたされることもない未来を描く佳作!
おすすめする。
少年が、緊張した面持ちで、友人と恋人とするふれあいは実に美しかった。

2009年10月5日月曜日

悪しき公理

中川昭一が死んだ。
彼が政治家としていかほどの人物であったか知らないが、
親子二代、政治に関わる運命の非情を観た思いがする。

石原慎太郎は中川一郎の死についてこう述懐しているが。

 *

それにしても、中川一郎の死というのはいったい何だったのだろうかと改めて思う。・・ああした魅力に富んだ一人の政治家が志の半ばで非業の死を遂げなくてはならぬという政治の陰の仕組み、それにからむ気が遠くなるような量の金と、その驚くほど薄い効用との対比の不条理さ。
そうした虚構は現今の日本の政治にとって致命的な主題であり、政治家が人間として何を思い、何に腐心し、何をこそ行わなくてはならぬかということを露骨に疎外してしまう。
・・・政治の悪しき公理を私は中川の死に、そしてその周辺の人間たちや彼らがかもしだしたさまざまな出来事の内にあからさまに見せつけられた想いだった。それは何と強弁しようと一種の地獄絵としかいいようない。

 *

最近では政治家の私利私欲ばかりが取り上げられ、
国家ビジョンのなさを嘆いたりだとか、ポピュリズムであるとか好き放題言われている。
マスメディアの愚を今さら指摘することもないだろうが、
一方で、政治家に罵倒される官僚という構図も当然のような空気があり
一体似た者同士が寄り集まって何をしているのかと
この国の権力者たち(と自認する者たち)のさもしさにうんざりする。
個人的には二世議員の無能とも思わないし、官僚の腐敗とも思わない。
企業ならトップが悪いということにもなろうが、
政治では領袖の首はころころ挿げ替えられ、首相に任命された者が
果たしてリーダーとして認められてそこに立っているのか、
周囲も本人の意識も怪しい気がしてくる。

しかしこの数年で何人の政治家が死んだろう。
もはや記憶も定かでないが、永田元議員が自殺したのは今年のことだったろう。
国を背負う意識もなくて生命をかけるだろうか。
権力への欲望浅ましき、と言うだろうか。
ではその我欲の根源とは何であったろうか、全くはっきりしない。

そう思うと政治の虚構と言いたくもなる。
政治家を掘っても官僚を掘っても国家は出てこない。
疎外された周縁が実態のない中身を嘯いているようにみえる。

2009年10月3日土曜日

追憶、伊豆のこと

伊豆に行ってきたのはもう二週間近く前のことだ。

時間が均質に流れていてそれで気付くと日付は
僕の意識よりも早く進んでいる。
ブログを書くことで一日一日を確かめている。
日記をつけるのと同じように。

これは日記といっても読んでもらうことを
前提に書いているつもりだから、
その点では常にメッセージであるわけだが。

伊豆のことに話を戻す。
先日、新潟の山村について書いたが、南伊豆は海である。
暴れん坊将軍のオープニングで吉宗が白馬に乗って駆ける
砂浜がまさにあり、海岸線は長い。
伊豆の写真を公開しました。
砂浜の写真はない。土地から出ている湯気は温泉である。

温泉につかりながら色々考えていた。
夜、畳の上にしいた布団に入り、虫の音だけがある
真っ暗闇のなかで眼をひらいて色々と考えていた。
考えることが僕に先行する。それが時々辛くなる。

伊豆から帰ってきて、僕は暗闇が海であったことを知った。
じっと横たわって眺めていた暗闇の中に溶け込み、
泳ぎ出した。すると思いがけず景色が広がる。
あたたかい匂いがする。時々岩が肩先や脛に当たって痛い思いをする。
魚の群れが銀色の光の粒となって僕を包む。
いままだ暗闇の海を泳いでいる。