2008年12月31日水曜日

みかん

先回の投稿は豆乳ヨーグルトの件だったか。
今日の朝から昼にかけて豆乳鍋を食った。
車を運転する用事がないと一日中酒を飲んでいて、
だるくて眠ちゃい。

一年が終わりますね。

いま和歌山です。



みかん。

東京ではみんなまずいみかんを食べてる。
それでみかんを粗末にする。

しかし本場ではあまりにたくさんありすぎて
こんなにざっくり売られている。

2008年12月25日木曜日

豆乳ヨーグルト

なぜクリスマス・イヴが、クリスマスより盛大なのか、
知っている人はいるだろうか。
誕生日の一日前にお祝いをしている。
新年のお祝いを大晦日にしている。
そんな違和感がある。
クリスマスは家族と過ごす日で、イヴは恋人と過ごす日、
だからイヴには若いカップルが街に出る。
そんな話を聞いたことがあるようなないような。

・・と珍しいような導入で話を始める。
が、句が続かなかった。

そういえば、豆乳ヨーグルト、ってのを食ったら旨かった。
コンビニで買ったと思うが近所のスーパーだったかもしれない。
これは、皆さまにとって、有益な情報である!

これだ↓ いま流行のトクホ。



コレステロールが下がる。
忘年会続きの方には、朗報。
クリスマスにケンタッキーフライドチキンの山盛り
を食った人は、一日二個を一週間食ったほうがいい。

2008年12月22日月曜日

オリオン座 2

わたしが唯一識別できるオリオン座が夜の空にあって、
その確立した輝きにうろたえてしまう。
疑わしいのはむしろわたしの記憶のほうであろうと、
誰彼なく思わせる力がある。

本当は曇り空の下、洗濯物がはたはたと波打っていたはず。
空を見上げてみたら、雲がまるで早回しの映像のように
右から左へ流れていて、この分だと、蝉はこの寒い
大地から這い上がってまだ薄く濡れた羽を開くだろうし、
種子に窮屈に収まった双葉は、なけなしの身体を、
行き着く先のない空に伸ばし始めるその痛々しい努力を
開始しないではいないだろう、と思っていた昼間。
慌しい年の暮れの街に男も女も女も男も入り乱れて乱れて、
わたしはそういえばひとりだった。

夜の空気はしっとりと暖かい。
昼からの風はまだ強いけれど、
冬の日差しを感じられずにいた私の身体のあちこちが、
暖かさの中に溶け出しそうに疼く。

扉がかたかたと鳴る。
窓が少し開いているのかもしれない。
オリオン座はいまのわたしからは見えない。
消え入りそうな空間とも呼べぬ不安定な次元の、
狭間にふとあいた空間に偶然、わたしはいま居る。
その偶然は運命めいた何かではなく、
デジタルに管理される神様の運営する社会の、
陽のあたらぬ影にあって、束の間の休息に過ぎない。
他愛もない空間にわたしはいま居る。
居ると言うよりも、誰も知らない時の中に紛れている、
と言うべきかもしれない。

オリオン座はきっと輝いている。
わたしはそれを知らないではない。
そう。偶然の果たす意味に応えることに臆病であるほど、
強くあることも、できなくなりはじめている。

2008年12月21日日曜日

ピリリとしない週末

なんだか引っ込みがつかなくなって、
TSUTAYAで『式日』借りようと思ったけど、
レンタル中でした。

それで映画を二本借りてその間小説一冊を読むが、
どれもいまいちオススメできるものでもなくて、
感想書こうと思ったけど、読んだって結局、
たいしたことないと思います。ってことだから何とも無益。

なんだかなあ。ピリッとしないぞ。

この二日間、仕事しながら映画観ながらの合間に、
年末大掃除を少しずつ進めているが、
こちらはいたって順調です。
キッチンぴかぴか!

2008年12月20日土曜日

急啓

さて、先回の投稿は、色々な方に誤解を与える
結果となってしまい、誕生日のお祝いのメールや
プレゼントまで届いたりする 笑

皆さんありがとう!

でも僕の誕生日は6月だよ!
みんなそのときお祝いしてくれたじゃん! 
憶えておきなさい!
そしてあの記述は映画の話である。

もう一点。

最近の投稿の内容が暗くて、今にも死んじゃいそうじゃないか!
との叱咤激励もいただく 笑

これは言わんとされることはわかるのですが、
これが僕のスタンダードだったりします(汗
先回のは松尾スズキっぽく書いたので余計なんだけどね。
全然大丈夫。
とはいえ、読んでいらっしゃる方の元気を減らしめるのは
本意ではない。溌剌と頑張ります!

現状のご報告を最後にしておくと、只今は、
来年からのToBe グループの活動計画の作成、
並行して、新規事業の立ち上げが年末まで待ったなし!
という、なかなかヘビーな感じである。

以上、取り急ぎ

2008年12月15日月曜日

ぬううおおぉぉおおーー

いかーーーーーーーーん!!

松尾スズキの10年近く前の日記を読んで、
笑っている場合じゃなああああああああああいいい。

月曜日になっちゃいましたよ。
これじゃあ、腑抜けですよ。

はよ寝よ。

何やってんだあこの人はほんとに。
いつか演劇観に行きたいなあ。下北沢に引っ越すかなあ。

書いて書いて成る生活ってのもいいなあ。
けどくだらないことばっか書いてるからなああ。
まじめくさって書いても誰も読まないものよ。

年の瀬だ、歳のせいだ。このぐうたらな感じ。
と死にそうだ。

あしいたがあるあしいたがあるうう、あしいいたがあああるうううさあああ。

これ実名わかる感じで書いてんのよね、俺。
大丈夫かな。まあいいか。
松尾スズキとか何度もこのブログ出てくんのな。
まずーーーーい。
経営者とかもうちょっと出演してもらうべきかな。

40歳で成功してる文化人がバカ書くのもアレだけど、
25歳の若造がバカ書くと、妙に切迫感あるのな。
こいつ大丈夫かな、この先、ってなるのな。

明日何の日か知っている?






明日は私の誕生日なの。



『式日』もいっかい見よ。

2008年12月14日日曜日

さして寒くないのに寒さを言い訳にする日には

餃子作った。
一人で何やってんだと思うだろうか、
とにかく腹いっぱい餃子食ってビール飲んで、
何が悪い。

ときどき「料理うまいんだね」とか言われるけど、
そんなことはない。餃子うまくなかった。
白菜はもうちょっと細かく切らないといけないし、
誰かパリっとうまく焼く方法を教えてくれ。

大量に焼き杉。
互いの皮が引っ付いちゃって食べようとすると破れる。
せっかくきれいに包んだのに、何やってんだか。



ま、いいさ。全然大丈夫。

平野啓一郎の『日蝕』は、amazon の書評ではすこぶる評判悪い。
ま、松尾スズキの言葉を借りれば、「文章ブス」の集まりってところだろうか。
ま、俺もその類だったりするか。

ひさしぶりに映画見る。
できればもうちょっと頻繁に見たいところだがなぁ。



荒川良々がなんかいい。
あんまり大丈夫でない人々が、たいして大丈夫でもない日々を送っているが、
底抜けの明るさというのでもなく、なんともどうとも言いづらい映画ではあった。
どうしようもなくなったときに、
お前は何かに本気になったことあるか、死ぬ気で頑張ったことあるか、
と焚きつけられて、一念発起するもすぐに挫折して、
挫折した後悔もすぐに薄れて、ある女性に恋するも、他の男に取られてしまい、
その恋心すら、すぐに忘れるというような展開とも呼べぬ展開で、
奈良公園で鹿に餌をやるというどうでもいいラストシーンを迎える。

あんまり書きすぎるといけない。
暇があれば見てほしい。

2008年12月13日土曜日

孤独なる飛翔

ああもう死んじゃいたい、と何度か呟いてみるが、
状況はいっこうに変わってく気配がない。
そりゃそうか。

昼間からビール飲みながら『日蝕』の感想書く。

大学生のころに書いたという平野啓一郎の
筆力に驚く。
清朝にて編纂された『康煕字典』を愛用、
って何なんだこいつ。

それで内容の話に移ると、
わかったような、わからぬような話である。
そのことを平野は、主人公の声を借りてこう書く。


私は、自身の体験を能う限り有りの儘に叙することに因って、何等かの答えらしきものが見出しえるかも知れぬと、私(ひそ)かに期する所が有った。しかし、終に、両性具有者の一貫した像を形造ることは出来なかった。或いは私が、より強くそれを求めむと意識しながら筆を進めていれば、然るべき成果は得られていたであろうか。私はそうは思わない。そうした努力は仍虚しいものであったろう。
『日蝕』


太陽と月の重なり、男と女の重なり(両性具有者の其)、正と邪の重なり、創造と破壊の重なり、それら矛盾するものたちの重なりの中に、平野は、自己と世界を同一にせしめる契機をみようとする。見る者は見られ、見られる者は見ており、他者は自らとなり、自らは他者となっている。

私は世界の渾てを一つ所に眺め、それに触れた。世界は私と親しかった。私は世界を抱擁し、世界は私を包んだ。内界は外界と陸続きになった。同じ海になった。世界が失われて私が有り、私が失われて世界があり、両つながらに失われ、両つながらに存在した。唯一存在した!
『日蝕』


世界を一元論的に捉えることの本旨は(私にもその動機がある)、
世界を再構築する夢を描くことよって、
それへの主体性を取り戻すことにある。
その主体性は、(本書で錬金術に象徴されるように)永遠なる過程の中
にしか存在し得ず、結末への予感を期すれば瞬く間に崩壊する。
行為の中で衰弱し磨耗する意志においては果たしえない
孤独なる飛翔を『日蝕』の中に私は見ることができた。

文学に、言葉にまだ意味があるとすれば、書くという行為以外にない
と不図思って煩わしくなる。
死ぬことの解放を否定することができるだろうか?

2008年12月7日日曜日

静かにしやがれ

松尾スズキのブログに紹介されていて、
ブコウスキーを読む。
(ちなみに彼のブログはすこぶる面白い。)

30cmに勃起したペニス、バスルームに吐いたゲロ、
130kgある娼婦との人生最高のセックス、
ビール、徳用パックの白ワイン、スコッチその他あらゆる酒、
精液、競馬、ゲイ、小説家、詩人、蜘蛛、警察、政治家、
薄いピンク色の下着、マリファナ、死体、労働・・・
30篇ちかい短編は、それらの繰り返しだ。
汚らしく下品で、吐き気が出る。冷笑を浴びせる。

そこに静謐がある。例えばこうだ。


便箋をテレビのわきに置いた。いい気分ではなかった。泣きたかった。そこは静かだった。私の好きな静けさだった。オーブンや冷蔵庫が人間に見えた。いい人々という意味だが、腕があって、声も出せるようにみえた。彼らにいった。ゆっくりしていけよ、ここはいいぜ、ものすごくいいところかもしれないぜ。
『かわいい恋愛事件』


これを次ぐ言葉が見つからない。
表題作からも引用してみよう。

私たちは抱きあった。キャスは声を殺して泣いていた。涙がこぼれて落ちているのがわかった。私の背中に垂れた長い黒髪は、死者の旗のようだった。私たちは、悲哀に満ちた性愛を静かに楽しんだ。
『町でいちばんの美女』


誰だってブコウスキーのようである自分を否定できないし、
誰だってブコウスキーのようであってはならないと言うだろう。
言い負かされて終わるのが、悔しくて生きているようなもんだ。
でなかったら、とっくに死んでる。

オリオン座

わたしが唯一識別できるオリオン座が夜の空にあって、
モチベートする何ものかであろうと輝いている。
黒猫が車の下でじっとそれを見ている。
今日は一段と寒い。それでというのでもない。

「新感覚ってさあ、言うんだけどこれどう思うよ?」
駅前のコンビニで買ったスナックを頬張ってミカエルが尋ねる。
わたしはポケットの中で暖まっていた左手を仕方なくだして、
ざらざらと乾いたそれをもらって口に放り込む。
何だって深夜に。左手にはざらざらが残る。
「おいしいと思うけど?」
「そりゃあ、ああやって特集されている商品なら、
 何だってうまいさ。外さないよ。でも新感覚っていう
 言葉を軽々に使うのは、これくらいのことでそれは、
 モラールが狂ってんだよ、絶対。悲しくなる。」

足音に気付いて黒猫はすっと身構える。
あるいは自分も新感覚を試してみたくって、
プリーズミーアテンションってことかも。
それには少し可愛げが足りないっていうか、
ちょっと距離も遠いし、せめて、その暗がりから出てきてごらんよ。
怖くなって翻って逃げても、わたしたちなら悪い気はしない。

ゆるやかにカーブして坂道を登った。
予備校の看板は煌々と輝いているが、
もちろんいまPETボトル片手に話す生徒たちはいない。
ミカエルはあいかわらず新感覚をもりもりと食べる。
ビニールのなかで新感覚が乾いた音を立てる。
わたしはさっきふと、何年かぶりの懐かしい友人に電話したのだった。
「いまメルボルンにおりまして早朝ですから、改めていただけますでしょうか。」
と眠たげに釈明された声を、繰り返し思い出す以外できなくなっていた。

2008年12月3日水曜日

予断を許さない

22時からインドカレー食って腹いっぱいだ。
昨日は、23時半から吉野家食った。

胃は空っぽでも満腹が続いてもダメな厄介な器官であるのは
周知の通りで、腹が減れば可哀相なくらいキュウキュウ鳴くし、
かといって深夜に食えば朝までもたれるし、
何事にも正直な私の中の正直な胃よ。
余談だが食いすぎて気持ち悪くなりそうなときは、
家に帰ってから酒を飲む。(気持ち悪くなってからでは手遅れ。)
そうすれば、少し満腹感が和らぐ。のではないかと思う。
それでもさすがに、22時からガーリックナンはやめておけばよかった。
刺激物は、さらにこう、もたれる気がする。今日だけか。
もはやどこからもどこまでも余談である。

知らぬ間に一年が終わる。ちょっと前まで夏だった。
時は流れているようで、遅々として進まないようである。
そして流れた月日は、既に取り返せないという気になる。
これは錯覚であると言える。

手にカレーの臭いが残っている気がする。
風呂に入った石鹸の臭いに混じっている気がする。
これで寝ないで手を洗い続けたら僕は何者かになれるだろうか。