2009年12月17日木曜日

オリオンの物語

 東京の空がこんなにも明るいことに、明け透けに驚きを感じることができるようになったのは、いつからだろう。東京の空はいつもこういうふうだったろうし、僕はその下でいくつもの言葉を並べ、聞いてくれる誰かがいたのだから、この孤独な東京にあってそれは恵まれ過ぎていることであったに違いない。僕はそのことにとても感謝している。
 そう思いながら空を見上げていた。新宿のネオンの照り返しなのか、はっきりとわからないけれど、明るい空の下だ。それは東京を象徴していると思う。田舎育ちの人間で、上京してからも長く埼玉県狭山市にいたから気付かなかったことがたくさんあったのだと思う。
 思う、と言えることが最近減りつつあるのではないかと今ふと気を病んだ。日常で出合う事々について、いくつのことを思っただろうか、それは過ぎし日にあってはとうに遅すぎる小さな出来事であったろうけれども、僕の人生がどうであったかという段になると、そういう小さなことが大切に思われぬでもないと、思わぬこともない。
 
 そして空をもう一度見上げた。
 僕はあまりに薄弱にして、空を見上げてわかることといえば、カシオペア座とオリオン座の二つに過ぎない。しかし、いま冬の空にあって、オリオン座の確かに光るその空の、明るさの下の曖昧な不安のなかにいて、その確からしさに幾度となく勇気付けられたことを僕は忘れたことはなかった。だからいまこうしてオリオン座の光るのを見上げながら、その足下にある自分の確からしさについて、二、三の世迷言を語らぬでもないわけだ。

 オリオン座に対する僕の執着は、深く根をおろしている。
 それで明日も立派に生活をして、また夜にオリオン座が灯るだとしたら、曇り空の向こうに明るく輝く強靭なそれ、たゆまなく連綿と悠久と続く時間、そういう永遠に僕は憧れる。叶わぬ願いならば願わぬほうが幸せであったろうと言うだろうか。僕は連綿と続くそのものに対し、僕自身を負わせて、僕は意識の空虚に逃れ出で、一つの雫が湖に溶けるように消え入ることを終に望みとして捨て得ないでいるだろうか、いや、明瞭な論理のなかに落としいれてしまえばいいと願う気持ちもわからぬではない、としても、それでも放つ志向に、未来はあるのだする信仰が、オリオン座に勝るとも劣らぬ輝きを発していて燦然と輝いている。僕が望むのはそれだ。強く、強く、僕はあらねばならない。強さが力なのだ。
 

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