2009年3月25日水曜日

ある打者の思考

故郷 和歌山から持ち帰った金山時味噌が
冷蔵庫にあって、胡瓜ともに晩酌に供されれば、
これは至福である。

いい書き出しだ。

それに続く一文はこうだ。


至福の功罪といえば回りくどいように感じるかもしれない。
幸福であることイノセンスを素直に受容する軽薄が、
私たちにはなさすぎる。
その至福は瞬く間に、金山時味噌であったり、
酒であったりの物質的な何かによって表徴されてしまう。


結びはこうなる。


私たちはもどかしくも、
誰かが残した微笑の記憶や、すぐに想起される暖かな匂いの記憶に対して、
臆病にもその不在を信じ込むのと同じ手つきで、
粗末に感じられる至福に対して、不支持の沈黙を科し、
やがて消え行くのが自らの至福自身であった倒錯については、
頑強なまでの強さを発揮する。真剣な表情に無念の影が映える様子を、
感傷的に眺め、美化することに、臆面もなく長けてしまった。



センター前ヒット! 二者生還!

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