日本大通りのほうから山下町まで歩く。
山下公園でしばし休憩。それにしても洒落た街だ。
ところどころ軽々に感じられるところがあるけれど、
土台は海にあって、それは紛れもなくそこにある。
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絵を観ながら、表現することの動機について思う。
あるいはその実践ということについて。
描かざるを得ないから描くのであって、
描くことを通じてしか為らないことがあって描く。
子どもの絵がすばらしいという。
描くことによってしか表徴できないものがそこにあるからだ。
描くこと以外によって代弁できる方法を主に概念やら言葉やらに
よって獲得しはじめたとき絵はつまらなくなる(のだと思う)。
知ったことをなぞるような表現は、蛇足でしかない。
その余裕を楽しむ、ということはあるのかもしれないが。
言葉にできない、既存の〈世界〉に還元できない何かにぶつかる。
それで対話が生まれる。対話しながら、その豊潤な、あるいは攻撃的な、
蠢く奥底のものを、引っ張り出してみることを表現と言い、
作家はそこにもうひとりの「私」を観るし、それは単に観ているだけの客でも
同じことで、作品との対話を通じてもうひとりの「私」を発見する。
作家だけでは完結しなくて、観る客がある。それでようやく作品が成る。
それで技術が要される。優劣が生まれる。
飾られたたくさんの絵と審査員の評価を見ながら、
釈然としないものがあって、そう言ってやりたくなる。
もはや繰言でしかないが。
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その後、もちろん中華街に行く。餃子食う。
中華街は夕方までにぎわっていたが、九時を過ぎた頃には人が少ない。
山下公園はカップルだらけ。
百八十六番餃子というお店。後になって調べたら
まだオープンして間もないようだが店はレトロな雰囲気だった。
こういうのは大勢で食ったほうがうまい。





