マルコムXと大書。どんな過激な駅やねん。
投票か弾丸か。
味噌汁か断食か!
エドワード・W・サイードの「知識人とは何か」を読んでいて、
久しぶりにマルコムXの名を聞いて駅をふとみたら、
その名があった。かと思った。
サイードは、米国での居住資格のあるパレスチナ人という、
ねじれた背景をもっていて、カルチュラル・スタディーズやら、
ポスト・コロニアリズムやらを経て、僕は彼に出会った。
この本は、講演をまとめたもので読みやすく、わかりやすく、
しかし、深みと情熱とがあって、すごくいい。
まあ、感想を述べてもみんなあんまり興味ないだろうけれど笑
備忘録的に、少し書いておく。
知識人の独創性と意志とを脅かすものとしてサイードは専門分化と専門家主義をあげている。
知識が専門化、分化していくことで知識人は、ある固定されて矮小な領域の知にのみ関わることになり、またその領域内で派閥を作り、特別な用語や慣習を発達させることで専門外の者をそもそも、議論の枠から外してしまうのである。
専門家は尊ばれ、権威と権力をもった専門家の領袖の発言であればなんでも、無批判に居座り続け、むしろ同じ仲間同士で公式を補強しあうということが起きる。
さらには、専門家の権威と権力は、政府や業界団体の援助を得て、強化されるのである。
例えば政策支援のための研究といったように。
知識が資金提供者の依頼によるものばかりになり、マイノリティの視点は、そのはじめから排除されているのである。
以上から、「知識人が個人として主体的に代弁=表象をおこなえる空間」は、縮小にみまわれるのである。
それに対してサイードが提起するものは、知的亡命とアマチュアリズムという思考である。
「知識人が表象するのは、静止した聖画(イコン)のごときものではなく、言語のなかで、また社会のなかで確固たる意志をもった明確な声としてたちあわれる個々人の使命であり、エネルギーであり、強固な力である。」
「アマチュアというのは、社会のなかで思考し憂慮する人間のことである。」
「そう、知識人の声はたしかに孤独の声である。だが、その声は、なんらかの現実の運動や、民族の願望、あるいは共有された理想の集団的追及と自由自在にむすびつくことによってはじめて、高らかに響き渡る。」

4 件のコメント:
また風邪で、ダウン中です・・・。子供たちにうつされまくり。
ザイードは私も好きです。オリエンタリズムと戦争とプロパガンダもってるから、今度かそうか?
YEAH!!
その通りだベイビー!
命がけの跳躍をしようぜ!、
…ってマルクスだけど(合ってる?)。
サイード、こんど挑戦しまーす。
今ね、時間読み始めたところ。
出だしからしてホエ~ですが、面白そう。
solさん
ブログ更新されないからどうしたかなー。と思ってたけど、風邪でしたか。
サイード好き!いいね。
そうね。こんどお会いしたときに、ぜひ。
ってかお大事になさってください。
また子どもたちに移し返したりしないように。。笑
絵描きさん
マルクスそんな感じだね。「時間」はつらいじゃろー。吉田健一に入門するなら他の本で文体になれてから「時間」にいったほうがいいと思うよ。
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