2008年11月30日日曜日

日が照るようにして

ひさしぶりの洗濯日和!

洗剤はボールドがお気に入り。
しかし、どうにかならんのか、このパッケージ・・鬱 ↓



これで名前が、「ボールド」ってどうなんだ。
Bold だよね。Baldだったら嫌だなあ。
「フローラル・クリーン♪」とか、
「キューティー・イリュージョン!」とか、
そういう名前を彷彿させる顔だな。それだと余計買い辛いけど。

* * *

大塚英志と東浩紀の対談「リアルのゆくえ」を読む。

テーマは二つあって、表現の固有性、および、表現の公共性、
ということだろう。
(批評も文学もネットコンテンツも全てを含めて捉えるために、
 表現という言葉を用いた。)
固有性については、インターネットによる集合知的な創作活動
を通じて造られた作品に、作者の固有性というものが存在するのかどうか。
初音ミク(そういえばこの対談で一度も言及されない)の音楽に、
作者の固有性は存在するのか。
データベース消費やらコミュニケーション消費やら、その辺の細かい話は、
本書を読んでいただくとして、固有性を巡る議論の射程は、
世界に主体的に関わる自己の単独性を巡る神話を、
どこまで許容するかにある。
自己の単独性なんかはないんだ、って言い切っちゃうと、
大塚が常に苛立ちを隠さないように、
「じゃあもう別に何も書かなくてもいいし、君と話す意味もない。」
ということになってしまう。
他者という言葉が柄谷あたりから影響を受けて
僕の周りでも頻繁に使われていたけれど、
他者と言った時点で、それぞれの単独性を認めないと始まらない。
東は単独性を個人的には認めるけれど、一般論として敷衍することはできない、
と言い張る。

公共性については、固有性の問題と繋がるところがある。
固有性が疑われるのは、当然、社会的な問題である。
(個人として固有性を有するのは当然である。)
では固有性を持たない要素としての個人で構成される、
社会において、公共性とはいかにして成り立つか。

・・とまあ、僕が解説を試みる必要もないし、長くなるので辞める。

それで最後に僕としての所感だけ書いておく。

ひとつはリアル、というものを、理論としての国家や政治、
あるいは、概念としての単独性、他者性、というところで
規定しようとしても、神話的にならざるを得ないのではないか。
それを否定するところから始めようとする議論においては、
常に眼前に立ちあわられる不可解な世界に対しての、
実践として以外、リアルを論じることはもはや成り立たないのではないか。
ではすべて、個人的な体験として細分化してしまって、
それぞれの役割をそれぞれの責任でもって担うという東の立場に肯んずる
ものでもなくて、それぞれの役割の中に公共性を見出し、
大塚が何度も問いただす、そもそもの理念やら動機というところに、
回答を出し続けることが必要なのだと思う。
それを啓蒙やら教育によって、全員がなすべきであると言い出すと
また話が空転する。
公共性を見出し得た者が、パブリックな立場で発言と行為を続けることによって、
社会の持続可能性を守っていくということだろうと思う。
一人の人間でできることなど限られているのだとすれば、
実質的に世界と言うものは超越論的に語る以外にはないのだから。

2008年11月24日月曜日

雑然と

これも人に勧められて、伊坂幸太郎「ラッシュライフ」を読む。

彼がなぜこれを書かずしていられなかったのか、
ちっともわからない。
ある女性が、「決断のひとつひとつに責任を持つこと、それが意志だ」
というようなことを言ったけれど、それは書くことにも当てはまる。
必然性のない言葉はいくらきれいに並べたところで、
どこにも着地せず、漠として空疎に響くだけで、
それは言葉を支える書き手の意志が不在だからである。
意志のない、責任のない言葉には用がない。
読み手にも何の意志も喚起しないという意味では、娯楽にはいいかもしれないが。
とあんまり書くとファンの方に怒られそうなのでやめよう。

 * * *

「売れ顔」の法則 を読んでたら、何度も「とろっ豆
がうまいんだって、ご飯によく合うんだって書いてあって、
それで食いたくなって、衝動買いして食う。うまい。
納豆3パックがデフォだから、一人暮らしには面倒で
あんまり買わないのだが、たまにはいい。

セロリを酢に漬けてピクルスみたいにして、
これも非常にうまい。
それでカレーつくって、三品。なんか統一感ないけど。

そういえば昨日渋谷でバーガー食う。
パクッチ・バーガー」なかなかうましで、ご紹介しておく。
タワーバーガーっていう、ビッグマックの5倍くらいのが
あるので、チャレンジした人はご報告求ム。
最近過食気味じゃぁ・・・。

2008年11月22日土曜日

Positive Mental Attitude

最近、おすすめの書籍を紹介していただいたり、
読んでみたまえと書籍をくださったりすることが多い。

読むスピードが追いつかないし、それ以上にブログが追いつかない。
ということで、三冊。

「売れ顔」の法則―ならべれば売れるヒット商品のつくり方

商品開発の会で知り合った嶋さんの著作。
大塚製薬、ミツカンと食品の商品開発を担当し、
ヒットを飛ばしてきたノウハウを公開! という内容。
嶋さんには、競合ひしめく商品棚に陳列され、
確実にリピーターを獲得していく新商品の姿は、
知名度も実績もないベンチャー企業が、
執念と専門化によって大企業に打ち勝っていく様に似ている、
というような感想をお送りした。
制約はある。それをいったん振り払って、顧客視点に立って、
最上のものを考える。そして自分が自信をもって届けれられる
ものを作り上げ、なおかつ、販売を続けながらノウハウなり、
優位性を蓄積できる仕組みをつくっておく。
単純なことだけれど、それがなかなかできない。


地方の逆襲

池田 弘さんの講演会でもらった。
成功者の言葉はいつも重い。
さらっと大変なことをおっしゃる。
「そんなうまくいかないよ」と言いたくなるのは、
「そんなうまくいかないよ」と言う人間だということなのだ。
どうにも分析的に考え、何事も欠点が見え、
躊躇してしまうのは良し悪しは放っておいて僕の癖である。
だからといって、平易な言葉に対して反論を述べるのは、
反論する人間であると言う特性の中にしかいない。


どんな仕事も楽しくなる3つの物語

これはオウケイウェイブの兼元社長にいただいた。
うじうじと言い訳がましい若者に対する叱咤激励、
有難く拝読する。
「自分が何をしたいのか?」が少しずつ見えてきたことは、
一歩前進ではあっても、一歩進んだところで風景はさしてかわらない。
大きく踏み出し走り出す以外に方法はない。
と書いていてもつまらないから、まだつまらない。

がんばりましょう!

2008年11月21日金曜日

SF ->

ディックの短編集「マイノリティ・リポート」を読む。
表題の「マイノリティ・リポート」と「追憶売ります」
の二編が映画化されている。
(追憶売りますの映画タイトルは「トータル・リコール」)

ディックは、短編よりも長編のほうが面白いと思う。
(「アンドロイド・・」なんてすごくいい。)
近未来を描くその木目細かさや、ストーリー展開の爽快な刺激は、
ある程度の長さで描かれたほうが、読み手の視野が広まっている分、
細部が際立って、鋭敏に感じられる。
短編は一点に集中するので木目細かさが唐突に感じられるし、
展開は、予見的に組み立てられてしまう。

他にも面白い短編があるけれど、
今回は、小説と映画について書く。

マイノリティ・リポートは、スピルバーグ監督、トム・クルーズ主演
と豪華キャストで映画化されているが、
原作の短編はエッセンスだけで映画のような壮大なストーリーはない。
プレコグと呼ばれる三人の予知能力者が世界の犯罪を未然に防ぐ、
警察機能を担っているという設定は同じであるとしてもそれ以上のものはない。
映画化されたときのストーリーの肉づけは素晴らしい。
ディックが、これを長編で書いたなら、と空想が膨らんだのだろう。

一方、トータル・リコールは、その短さがゆえに、
結末のミステリアスな読後感が痛快であるのだが、
映画は、シュワ知事主演でドンパチやっているだけの映画だ。

映画と小説を合わせて観る(読む)という行為を敢えてすることは
ないけれど、思い返してみるとなかなか面白い。
松尾スズキが原作も書いて映画化もした、
「クワイエットルームにようこそ」は、完璧といっていいほど、
映画と小説の世界観がぴったりと一致していて驚いた。
三島由紀夫の「春の雪」は行定勲監督が映画化していたが、
メロドラマ風になっていてナンノコッチャって感じ。
岩井俊二監督の「リリィ・シュシュのすべて」は、
原作はネット掲示板の体裁を取っているが、
その世界観を継続しつつ映画としての見せ方をうまく作っていて、
才気を感じたのだった。

とまあ、これだけ比較しても表面をなぞるようで恐縮。
SFは、たくさん映画化されている。視覚を刺激するのだろうか。
映画作りはまったく門外漢だが、映画化を空想してみると
ワクワクする小説というのがあって、それで作家同士の対決が始まる。

Art&

本日、解禁!

ということでボジョレー飲む。
記念ものだし、グラス一杯。



今年の味がどうだとか知らない。

先日、ダンヒル銀座本店の2FにあるバーでJAZZ Night
というのをやって、公私(?)にわたり
お付き合いさせていただいている、
一樹さんの演奏を、念願かなって初めて聴く。
非常に楽しい夜だった。
グラスワインを頼んだのだが、それがしっとりとして、
非常に美味で、憎いくらいにJazzにぴったりだ。
さすが銀座、ダンヒルだしと、そこでワインの話でつながる。

生で聴いて人柄に接して万事楽しければファンになる。
そういう出会いをつくっていくことは、
弾き手と聞き手が互いに豊かになるひとつの方法である。

今週末は、絵描きさんの個展だ。

2008年11月16日日曜日

そうだ会社をつくろ

たまにはビジネス書も読む。
原丈人「21世紀の国富論」は、非常に読みやすく、面白かった。ぜひ一読をオススメする。

それで原丈人を調べてみたら、ほぼ日に出ていた。
ほぼ日あいかわらずいい人選するよなあ。この本が出たのが、2007年6月で、11月にはインタビューしている。

原丈人はベンチャーキャピタルである。アメリカ製の資本主義に対して、さまざまな角度から検討を重ねていくのだが(検討といっても僕にでもすんなりわかる内容で、視点をあわせることに注意すべきであって、論理的な厳密性を問うことにはあまり意味がないだろう)、論旨を(過度の単純化による魅力の薄れを恐れずに)要約してみると、「社会に役立つ目的のない会社はいらない」ということだろう。
会社は誰のものか、あるいは、会社の価値とは何か、ということの議論があるけれど、会社はその会社の目的に賛同し労働力や資本を供給する人たちの共有物(割合はどうであれ)であって、価値はその会社が目的に対し提供する利益と、今後提供するであろう利益の総体だという、シンプルなことでしかない。
正論としてはそうであるけれど、時々わからなくなる。自信が持てなくなる。

それを原丈人が語ることに意味があって、こちらは焚きつけられる。
最近たきつけられっ放しで、このままだと焦げ付いてきちゃいそうだから、どんどんインプット・アウトプットをしていかないといけない。

雨ばかりで嫌になっちゃう。

2008年11月15日土曜日

マスコットキャラクターから見る知財戦略

千葉国体のマスコットキャラクター「チーバくん」。
ちょっと見てみてほしい。



名前も国体の期間限定キャラクターの割には、威風堂々としていて斬新だが、そのカタチは、さらに異形である。

地方キャラクターというとひこにゃんが有名で、チーバくんもそれにあやかった二番煎じでしかないと思うかもしれない。
しかし、後発には後発の強みというのがあって、ひこにゃんは、デザイナーの想定していなかった姿勢や特徴を勝手に作り上げたため、著作者人格権等の問題が発生し、知的財産の取り扱い云々でドロドロの争いとなりお祭りムードに水を指したのは、デザイン業界に片足だけでも在籍したものなら誰でも知っている。

チーバくんは、形状が、千葉県の形をしている。チーバくんの外見的アイデンティティは、それ以外にまったくない。よって、これを不法に利用しようと思っても、色を変えるぐらいしか思いつかなくて、走っている姿や戦っている姿を作ってしまっては、チーバくんはチーバくんでなくなり、ただの落書きになる。
千葉国体実行委員会は、なかなか戦略的である。千葉県の形は一つしかないから、誰がチーバくんを利用してもイメージが崩れることはない。
ただ一点問題なのは、着ぐるみ、とのことである。
チーバくんは、微妙に後ろに傾いた姿勢で立たなくてはならない。
着ぐるみの中にいる人は、腹筋、背筋に非常な負担をかけるため、一時間ともたない。
そのことが、イベントのスケジュール等に影響をしているらしい。
スタッフのAさんは、「一度腹筋が痙攣し、後ろむきに倒れた。子どもたちはそれを見て、『ああー千葉県死んじゃった』と言ってました。チーバ君はたんなるマスコットではなく、千葉県そのものを体現している存在。」と話してくれた。
今後との展開に目が離せない。

2008年11月10日月曜日

煮玉子、背油、麺固め。あと、葉酸プラスして



三年間高田馬場に住んでいて、初めてラーメン二郎に行く。
酷い写真ですみません。

小雨が降る午後二時過ぎであったので、五分ほど待ってすぐに食える。
ラーメン激戦区の高田馬場といえど、いつも列ができているのは、純連と俺の空、そしてここ二郎以外にはあまりない。

ジロリアンと呼ばれる、ラーメン二郎好きは、店舗ごとの味の違いまで知って通うらしいが、こってり油の濃厚スープが堪えられなくて噂だけを耳にして避けていた。

それが最近、食欲がないわけではないのだが、ゆっくり飯を食う気分になれなくて、立ち食い蕎麦やコンビニの弁当で済ますことが多い。健康にはよろしくないに違いないが、気分を圧して食うのは滅入る。
それで今日もラーメンということにした。



こちらも写真が酷いが、仕方ない。店内は込み合っているのに、誰も一言もしゃべらず黙々と食っていて、シャッター音のミーハーな響きは、非常に肩身が狭く、間違っても取り直せるような状況ではなかった・・・。なんなんだいったい。その真剣さはなんだ。
店も汚いといって差し支えないほどだし、店員は大雑把に調理していて、丼は油でぬめる。そういう状況で、その真摯に食べる客の姿はなんだ。ジロリアンたちの信仰とはいかなる。

ちなみにこれは普通盛りである。ドカ盛りというメニューがあって、これの二倍の量があって、テレビチャンピオン状態になっている。もやしが、山と詰まれてある。

太麺がしっかりしていて、油と言われるスープも(背油のトッピングなんかしないノーマルでは)それほど気にならないもので、まあ、うまい。そして650円である。
大したこともないのに、高飛車に1000円近く請求する、小洒落た食通気取りの店よりはよっぽど良心的で好感が持てる。
あんなに並ばなきゃたまにいってもいいな、と思う。(でも、もう少し掃除して、丼は拭いてね。水道水のセルフサービスは・・とりあえずいいけどさ。)

その後、腹が下った。ん~と思ったがもう治ったし、咽喉元過ぎれば、である。

また新しいラーメン店がオープン準備をしている早稲田通り。
うまいトンカツ屋でもできてくれたらいいのだが・・・!
の休日。

2008年11月8日土曜日

信仰と狂気のあいだ

ドストエフスキー「悪霊」読み終わる。
一ヶ月ほどこの悪霊と闘い続けることを余儀なくされたのは、
自分で選んだ道であるとはいえ、徐々に苦しさを増し、
しかしその苦しみに固執し、自らにとって必要不可欠なように
思えてくるところに、名の通り「悪霊」としての本旨がある。

この作品における「悪霊」の意味を、無神論・アナーキズムとして
解釈するのでは、到底作中に登場する多数の人物の持つ意味を
理解できない。(先述の通り、19世紀ロシアの社会主義の勃興、退廃的な無神論思想、アナーキズム組織の狂信的な活動等々、実際の出来事がモチーフに
なってはいるが。)

二十年間一人の女性を愛しながらも打ち明けることのできない高潔も、
自殺を遂げることによって全目的を達成しようとする純粋も、
慈悲を身に宿したことを徳としながら嘲笑を浴びざるを得ない悲哀も、
この作品に多数表される狂気は、それが狂気であるからこそ、
精神に深く根を張り、たとえそれが虚構であり誤謬であったにしても、
それを作り出すのもまた自らであるという倒錯のなかにある。

人は自ら、認識として認識したもの以外には、認識したと信じることができない。
狂気は、最も強い自己認識となって、狂気こそが自分を支えるという信念を生む。
悪霊の正体とは、そのような狂気のことである。

悪霊から逃れるには、それに代わる偉大な思想が必要である。
哀しみを哀しみとせず、喜びを喜びとせず、孤独を孤独とせず、
狂気を狂気としない、あの偉大な思想のことである。
それを神への信仰ととらえてもいい。
しかし、神への信仰が、イエスへの信仰と等しくすることはできない。
物事はそう簡単には進まず、その遅滞をドストエフスキーは、
ロシア特有のものとしてみたのかもしれない。

ところで、「悪霊」の訳書は、なんと江川卓である。驚いた。

2008年11月3日月曜日

ここから



といって、デザイナーズウィーク一件いく。
これは+d の展示。
会場が少し離れているせいか休日でも空いていて、
ゆっくりとみれる。今年のインテリアライフスタイルショーだか
でみた木製の靴べら(と表現してしまうと作品を殺すが)があって、
その当時は+d の商品としては並んでいなくて、
やはりその後に、諸所の事情で取り扱うことになったらしい。
そのショーで見たときに印象に残った作品であっただけに、
よい目利きをされるなあ、と改めて感心する。

とはいえデザインの世界が非常に遠く感じられる。
この三日間、何をしたらよいのかについて(曖昧な表現だが)
考えていて、それでイノベーションということと、個人というところで、
もちろん僕の考えることなのだから当然の帰結としてだけれど、
落ち着くことができて、少し手ごたえを感じている。
これをどう実現していくか、チームにどう伝えていくかが、
次の課題であるし、もちろん、問題の設定の仕方、仮説の立て方事態に
誤りがあってゼロリセットする事だってありうる。

しかし、いずれにせよ、イノベーション(の定義がどうであれ)
人間関係の網の目と個人の実践と、さらには、イノベーションを、
それとして普及させる環境が必要であるという抽象論においては、
誤りようのないところであると信ずる。
そこで我々に幾ばくかの貢献ができればと思う。

これを続けるには、きちんと収益を上げていくことが欠かせないし、
続けることによって得た知見からさらにパフォーマンスを高めるには、
投資が、すなわち剰余金が必要であって、それでビジネスがある。

ピリっと動き出すのに、あとわずかという観がしてきた。

2008年11月1日土曜日

How to

デザイナーズウィークはじまりましたね。
今年はいかないだろうなあ。
業界はなれると、途端にあまり魅力を感じないTDW・・・。
知った人に会いに行くぐらいしかモチベーションを感じません。
もうちょっと金があると探したいものもあるのだろうか知らない。

昨日は会社の交流会でアクティブな方々にお会いして
非常に刺激を受けた。
皆さん僕より年上なわけであるが、いつからああやって
アクティブに取り組まれているのであろう。
僕も追いつけ追い越せでがんばりたいものだ。

入社して一ヶ月。あっという間だった。

昨日聞いた言葉のなかで、すごい人ってのは
「自分を甘やかさない」
「言葉を選び言葉に責任を持つ」
「人を楽しませるが自分も楽しめる」
ってことができる。
これだけ書くと自己啓発ハウツーみたいだが、
いまの自分にはこれがとても沁みる。

* * *

映画「恋する幼虫」を観る。
荒川良々と松尾スズキが出ているということだけで
借りたがやっぱりなんだかすごいことになっている。
バカすぎる・・・。
誰しもが抱える心の傷とその交流、事故、共鳴であったりとか、
そういうふうに解釈を論じることもできるが、
そんなことしたってこの作品のおもしろみは伝わらないだけである。
特典としてメイキングの風景があってそれがおもしろい。
くだらないくせに、神妙な面持ちで演じられるその舞台裏が少し観れる。

映画を観たくなったが特に借りたいものもないしシリアスなのでどーんと
衝撃をうけるつもりも、中身のないコメディで笑ってすっきりするつもりも
ないときには、これを選んでみてください。
あとこの映画を好んで観るとすれば、寄生虫好きぐらいしかいない。