2008年9月15日月曜日

書く技術

吉田健一の『時間』を読み終わったというと、
この本には相応しくなくて、僕はしばらくの間、
吉田健一の声を確かに聞いていて、
いま、その言葉たちは僕の意識の端々に、
満点の星空のようにというとロマンティックすぎるが、
輝いているのを見ることができる。

引用する箇所を探すのは骨が折れる。
論理的に整理された構造はなく、吉田健一に時間が流れるのと、
同じようにして、この書物にも時間が流れる。
時間の積み重ねといったところで現在があるのには変わりなくて、
ただ現在が移ろいゆくだけであるのだから、
どこかの箇所を引用してそれが結論であると言って無理に、
考古学的趣味の世界をつくることはない。
ただ流れるのが時間である。

決して読みやすい本でもないので、読むのを勧めるつもりはない。
それで『時間』について書くのはやめて、吉田健一について、
ひとつ余話をしたい。
文体ということである。
読点が必要以上に省かれていて滔々と連なる言葉の波に揺れる。
はじめて読んだのは、大学二年か三年のころで『英国に就いて』だった。
内容はともかく文体に衝撃をうけ、僕の文体に大きな影響を与えた。
欲しかったのは粒度の大きい塊として重く圧し掛かる文体であったと思う。
高橋源一郎が『小説教室』で吉田健一の『時間』について書いていたのを
思い出したが、引っ張りだして参照することは億劫なのでしない。
文体と言うのは、書き手にとってのパーソナリティの発露であって、
服装や口調に似ているようにも思うが、真に技術的なところがあって、
シンプルな説明が必要なら、書く技術そのものであると言い切ってもいい。
ということで、彼は師匠のひとりであると言いたかった。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

まだ生きてる人だったら手紙でも書いてみては?
時間のあるうちに。
手紙は面白いぞ。
俺はいつも恥ずかしい文章になってしまうが。

Hiroshi Tanioka さんのコメント...

吉田健一は、もう死んじゃったなあ。
彼に手紙を書くなら、
万年筆で旧仮名遣いは必須だな。
難易度高そう・・(^^;